2013年5月13日月曜日

GMS ビジネス定量分析Day3終了

この4月から行っているビジネス定量分析のクラスも既に3回が終了し、次は魔のレポートです。マーケ・経営戦略基礎ではレポートがなかったので、クリシン以来のレポートに戦々恐々としています。しかもクリシン、マーケ基礎の知識も総動員しないといけないようで、これでほんとに基礎クラスかよ…という感じです。

ここまで3回のクラスが終わったわけですが、毎回轟沈感を味わっています。もともとエクセルを使わない仕事(マクロとか分析は一切使わない)であり、学生時代もそこまで触れていなかったので未知の領域ではあったのですが、それはクリシンもマーケも同じ。なのにこの轟沈感は何か?と思っていたのですが、周りのレベルが今まで以上に高いのが原因かと思ってきました。今までも高かったのですが、今回は分析とかを業務で行う人が多いこと、また年齢も相対的に高く、ポジションも高い人が多いので、話のレベルが高いことも、自分がleave behindされているように思う理由かもしれません。やばい。

日本企業はダメだとか言われているけど、ここに来ると毎回それは嘘だろと思ってしまうくらい優秀な人が多いです。やる気もあるし、柔軟だし。自分のような若造に対してもフラットに接してくれる人ばかり。所属している組織に問題はあるのかもしれないけど、個人の能力としてはハイレベルな人ばかり。単純に外資に行けば、アメリカに行けば、伸びている業界に行けばOK、そうじゃない日本企業にいるのはくそみたいな感覚が今のIT、またノマド、スタートアップマンセーな人に多いけど、こういう人たちと一度勝負してみろやと思ってしまう。スタートアップは実力よりも運のほうがでかいとわかっている人は賢いけど、そういうところに身を置いているだけで優秀になった気になるのは危険だなと思います。だってここにいる人は本当に優秀だから。実際スカウトとかされている人も多いし。

とりあえずあと3回、必死でくらいつこう。

そしてやっぱり自分はこういうマネジメントとか、上の立場で物を考えたいという欲求があります。というかマネジメントとか経営の専門家になりたいと思っている。自分は人間とか組織そのものに一番興味があるから。それだけ言うと人事もそうだけど、そもそもの大枠から考えられるのは人事ではない。何のための組織か、何のためのビジネスか、そこからやりたい。起業すりゃいいじゃんと言われるかもしれないけど、企業はアイディアなしではできない。そうではなく、経営の専門家になりたい。

もちろん何かで目的、アイディアが生まれたら起業するのかもしれない。でも、今はそれより「どういう業界、状況であっても勝ちに導ける経営者」になりたいと思う。何で世界を変えるのか?より、勝つことそのものに興味があるからかもしれない。

2013年4月29日月曜日

山の音

川端康成はライトノベルのパイオニアなのではないかと考えています。雪国は冒頭だけ有名ですが、私も例に漏れず冒頭しか知らず、たぶん微妙に中学入試のために部分的に読んだことがあるくらいだったと思います。そのくらいの川端歴だった中で雪国をちゃんと読んでみると、なんだこの妄想爆発小説は、と感じたのでした。これを読む前に猪瀬直樹のマガジン青春譜を読んでいたことも影響していますが、川端康成は女の人への妄想丸出しの小僧っていう印象が強かったので、なんとまあ内に秘めたエロが炸裂した小説なんだろうと感じてしまいました。表現が洗練されている?から名作ということになっていますが、内容だけ切り出したらひどいもんですよね。逆に言えば、小説はストーリーではないということになりますが。

今読んでいる山の音は、雪国に比べればストーリーもより考えさせられるものになっています。相変わらず内に秘めたエロというか、変態さは発揮されているのですが、避けられない老いの問題と、家制度による個人の煩悶と、雪国に比べて筆者が成熟したせいかかなり引き込まれます。雪国は純愛(笑)だからなあ。

 山の音を読むと、人生の終わりを考えずにはいられなくなります。どうやって終わるんだろう。周りに迷惑かけないだろうかとか、気がかりなく死ねるだろうかとか。生きている間にそういうこと考えないと、死ぬ間際になってあたふたするんだろうなと思います。まだ死んだことはないですが、それはわかります。死ぬことは予習できないけど準備はできる。避けられないからこそ準備はした方がいい。死ぬまで死ぬことを忘れていても、突然目の前に現れるんだから。ぽっくり死ぬとか、事故で死ぬとか、それがあったらあったである意味奇跡みたいなものだ。

 山の音では主人公の信吾(老人)に、様々な気がかりがあってもう老人なのにこれでもかというくらい悩みがつきず、迷ってばかり。読んでいて、これじゃあ死ねないなと思いました。小説の本筋とは外れるけど、じゃあどうすればよかったんだろう?ということを考えてみて、それに答えるにはどうすれば死ぬとき後悔しないか?と考えないとダメだと思いました。

よく人生の成功者と言われる人は、やった後悔よりやらない後悔とか言うけど、本当になんでも挑戦しておけばokかというのも真剣に考えた方がいいということ。挑戦して借金をかかえたり、職を失ったりして人生も終盤で家族が険悪な雰囲気になり、先の見えない不安に40、50になって教われるよりも、無難な人生だったねと言い合って平和に過ごせるほうがよくないか?と真剣に考えた方がいいだろうということ。挑戦して借金かかえたり、職を失ったり、自殺したりした人の談話は世の中に出てこないんだから。

 あとはあれだね。世界で戦うために英語だMBAだ国際交流だとか叫ばれて、必死で自分の価値を高めようと躍起になっている人に対しては、それで生き残れたとして、生き残るだけが人生の目的になってませんか?といいたい。生き残るのは大事だけど、それだけだったら猿と同じだから。世界で生き残って、それでどうするの?ってことまで考えないといけないんだよな。

2013年4月9日火曜日

外でも通用する

きっかけはないこともないんですが、今の自分にはポータブルなスキルがどれだけあるか?っていうことを、最近特に、本当に強く考えるようになりました。今までも考えてきてはいたけど、ポータブルなスキルがないとして、じゃあどうやって身につけていこうか?というところまで踏み込んで考えるようになってきました。残るのか、進むのか。社内、社外問わず。

ポータブルなスキルがないとしても、じゃあ最終的にどういう姿になっていたいかというイメージぬきには途中の姿もイメージできないので、次のステップどうしようってことも考えられないと気づきました。仮に35歳の姿だとすると、自分はやはりそんときまでにはサービス運営に関われるようになっていたいなと思います。そして給料が上がっていてほしい。なぜ35かというと、今の自分の上司や同じプロジェクトでリーダーだった方が35だから、っていうのが理由です。彼らは技術的なバックグラウンドもあるけど、今はそれをいかして複数のプロジェクトを動かしたり、サービスの将来を考えている。自分はそうなっていたいなと思いました。そして給料があがっていてほしい。

新卒で入った会社をでるとしたら、そりゃあ安定を放棄するように感じられるし、転職先でうまくいくかわからないし、クビになるかもしれないしで不安が先行しますが、残ればバラ色ってわけでもない。給料上がるか、ポジション上がれるかは微妙だし、ビジネスサイドにいくとしても、無茶ぶりの中でがむしゃらにやるだけっていうのはな。今の自分として、仕事に対して「ポータブルなスキルがつくか」っていうのを一番に考えたい。「やりがい、達成感があるか」っていうのは、ちょっと違うかなと。そこを一番に持ってくると、たしかに楽しいかもしれないけど、じゃあ違う場所で力試ししてみますかとなったときに現実にぶち当たってしまう。そして、今の世の中いつ違う世界に飛び込まないと行けなくなるかわからないので、その会社、その仕事がある前提のキャリアを立てたくないと思うようになりました。

まあ難しいけどね。この1年のテーマだな。

2013年4月2日火曜日

スキル

ここ数週間ハードなイベントが続き、将来について考えることが増えました。この4月からついに社会人4年目になったわけですが、(なんども書いてますが)自分はいったい何をやってきて、今どういうことができるのかと。また、それは他の会社でも通用するのか、3年後、5年後、10年後にどういう仕事ができるようになっていたいか、今、何ができていないか、みたいなことをぶわーっと考えることが増えて、なかなか迷いはつきません。

自分のスキルについて、内部、外部の視点から考えてみると、

内部:直近のプロジェクトで、多様なチームを動かすリーダーシップ、
   マネジメントスキルが欠けていると感じた
外部:グループにエンジニアのスーパースターな後輩がいるため、
   自分が同じ土俵で戦うのは不利だし、不毛だと思う。

てなことを考えています。ようするに、生涯一エンジニアっていう道筋はやはり違うなってことです。絶対勝てないもん。プログラミングはできるほうがいいに決まっているけど、彼らくらいのレベルにまで行けるかといったら無理だと思う。あそこまでプログラミングや技術に自分のすべてを注ぎ込むことはできない。あれは野球でいえばイチロークラスなんだろう。でも野球はイチローが一人いれば勝てるわけじゃないから、空いてるピースを埋められるように自分が動けばいい。

で、昔からマネジメントとか、組織を動かすみたいなことに興味があった自分としては、そっち方面を磨いていかないといかんなと思っています。しかし、今現在リーダーとかいうたちばをもらっているわけではないので、あくまで自分がそういう動きを可能な限りしようとしているだけ。リーダーを拝命してそれを果たすってのとは雲泥の差。その経験なくして、本当のリーダーシップなんて身に付くのか?と思っています。

また、仮に転身するとして、エンジニアとしてようやくまともになったくらいの自分は何を評価されるのか?という気がします。今ようやく社内・グループ的にはまとめ役をまかせられるかなーくらいな感じなのに、外からそういう力があると評価されるのか?という。また当然エンジニアとしての経験もスキルも浅いため、そこが評価されるわけでもなし。ようするに第二新卒として評価されるだけだ。

あー、つまりは3年はまだまだくそって結論になりそう。でも今年はもっと仕事を選んでいかないとな。もちろん断りはしないけど、きちんとスペシャリティを持てるような仕事をくれってアピールしていかないと。

2013年3月28日木曜日

グローバル

自分の部署に中国人の人がいるんですが、その人と仕事するのが非常になんというか、毎日アレで非常に勉強になっています。日々はらわたがアレで、血管がアレになりそうなんですけど、これがようするにグローバル化で異文化交流なんだなーと実感してます。自分はここで使い物にならないといけないわけで、ここで充分戦えるようになると、メジャーリーグで戦う下地ができたってことになるんだろうなと思っています。

まあ正直いって、芝草宇宙の気持ちがよくわかりました。日ハムをクビになって台湾にわたってすぐ辞めて、オランダからのさそいを断って結局解説者になって、なんだよ現役やりたいならオランダでもいけやとのんきに思っていたのですが、(台湾人じゃないけど)チャイニーズと一緒に仕事してこの恐ろしさを感じたのなら、外人なんて二度とごめんだと思ってしまうんだろうなと。オランダ人と台湾人は違うけど、そもそも台湾という異国に乗り込んでこれの数倍のアレの洗礼を受ければ、ノイローゼになってもおかしくないなと思いました。

 それでも自分はここで踏ん張って力をつけたい。といっても正直言ってそんな大それたことをする必要はないです。自分のエリアを広げていって、すこしずつ仕事をとって(奪って)いって、プロデューサーの方から信頼を勝ち得、自分の思想を楽に通せるようにする。その結果ポジションが上がり、給料が増えるのがゴール。この会社ではますます外国人が増え、現場でやるべきことが増えていくはず。そしてプロデューサーやマネージャーは個別の事例にいちいち関わっていられない。でもプロジェクトは完遂しなければいけない。でも個別のマネジメントは誰もやりたがらない。だったら自分がそのピースを埋めようと。

エンジニアはどこまでいってもエンジニアで、コーディングがやりたい人たち。極論を言えば、コーディングのためにプロジェクトを犠牲にできる人たち。自分はコーディングではなくプロジェクトを最優先に考えられる人になろうと思います。それがチームにとっても書かせない役割だし、今後世の中的にも必要になる能力ではないかと思うからです。もちろんコーディング力がいらないというわけではない。要約すれば、グローバル環境でのリーダーシップを高めていこうということです。自分たちはきれいなコードをお客さんに見せてお金をもらうわけではない。サービスの利用料をもらっているのです。中身は見てない。

リーダーシップが大事だって言うのは昔からわかってたはずですが、なぜ急に改めて書いたのかって感じです。なんというか今日のトラブルと衝突を経て、「ああ、エンジニアとプロデューサーとマネージャーはそれぞれ違う敵と戦っているんだな」というのがよくわかったからです。そして、自分はエンジニアだけど、プロデューサーが誰と戦っているのかってのがだいぶわかってきたなーというのも感じた訳です。自分の上司が誰と戦っているのか。それがわかると、自分の振る舞いがかわるな、と。

上司とヒラでは見ている方向が全然違うけど、ヒラはそれに気づかない。そしてヒラは上司の苦労なんて一切知らないし、わかろうともしない。普通は。でも自分は幸運なことにそれに気づけたと思います。そのアドバンテージをいかして一気に駆け抜けたいと思います。

自分の勝利はエンジニアスキルを磨きつづければ手に入る、わけじゃない。リーダーシップを磨いて結果を出し続けろ。そして評価をもらえ。それにつきます。老獪に、柔軟に生き残ってやるのだ。

2013年3月24日日曜日

組織人として

ずーっと前からもやもやしていたことを今日は書き残しておこうと思います。結論から言うと、「自分の役割は全部果たしていても、組織として結果が出ていなければ自分の責任を果たしたことにはならない(もし自分が組織人として結果を出し、上に行こうとするならば)」ということです。会社の中の1部署の1チーム、1プロジェクトという極小単位であっても、自分がプロ野球選手とかプロサッカー選手みたいな1プレイヤーであることは不可能だということがはっきりわかりました。

会社組織においては、最初はただのプレイヤーであることを許されるかもしれないけれど、すぐにマネージャーだコーチだトレーナーだといった兼務がつくことになる。プロジェクトという組織も生まれては消え、役割もそのたびに変わるというルールの中では、野球だサッカーだというスポーツのように固定したプレーをすることが難しい。1エンジニアとして生きていくんだといっても使う言語や環境がどんどん変わるというのは、ボールやグラブ、グラウンドの形状までもが1年ごとに変わるってことと同じです。ボールが変わってよく曲がるようになったら、変化球を磨いて武器にするだろうし、バットがよく飛ぶようになれば、そのぶん筋トレを減らして別の力を磨くかもしれない。そういう環境の変化はスポーツにはあまりない(道具の進歩はあっても、競技の形まで変えてしまうほどではない)が、仕事の世界ではけっこうある。それに日々対応していかなければいけない。

そういうゲームをプレーしている選手が気をつけるべきなのは、自分の役割は固定されないということなのではないかと思います。そのときチームがすべきプレー、ゲーム展開を考えて自分を当てはめていくという感じ。そこで大きな役割を果たせるピースがあれば、そこに自分をはめられるように力をのばしていくという感じだろうか。ルールががんがん変わるために、自分のプレースタイルはこれだ!と打ち出してしまうと、ぴたっとはまるところ以外には引き取り手がいなくなってしまうのではないかと。FAしても引き取り手がいないってことになりかねない。

でも外国人はじめそういう頑固な人は多い。そう言う人は自分を変えない。プライドのためにプロジェクトをつぶす気が?と思うような行動を結果的にとることもある。だからといって、自分がそのプロジェクトにいて、リーダーではないからといってそれを放置していいわけではないのだということにようやく納得がいきました。

 なぜか。自分は組織で結果を出せる人間になりたいから。自分の目標のために組織を動かせる人になりたいから。自分はそういうのが向いていると思うし、やりたいと思っているから。そのためには、この石頭がと思うような奴でも真正面から怒るんではなく、押したり引いたり、飛び越えてみたり、あらゆる手をつかって結果を出すことをしなければ。

 正論吐けばすっきりするけど結果が出なければ給料が出ない。だったら正論をぐっと飲み込んで結果を出したほうがいい。どうせ世の中の全ての人とわかりあえることなんて不可能なんだから。

2013年3月18日月曜日

なりたい姿

日経ビジネスオンラインにまた押井守の連載がのってました。マネーボールの続きです。
これ
しかしこれを読むと、いかに自分の考えが押井守に影響されているかがわかります。

今回のテーマは「優先順位」。仕事、人生、うんぬんにおいて、自分の優先順位は何か?ということ。あれは1番、これは2番ということはあっても、あれもこれも、全部1番!はありえない。外資系金融でバリバリ働いて、でもあたたかい家庭もつくって、というのは可能かもしれないけどかなり難しい。だから自分は何を一番上に持ってくるのか?というのが問われるということ。外資でたくさん稼いでいるから勝ち組とか、貧しくてもたのしく暮らせているからいいとかそういうことではなく、お前が最も大事にするものを持ち続けて、人生を駆け抜けているか?ってことだけが問われるってことです。

SFCでよく聞いた教訓で、(アメリカのどっかの大学で出た話らしい)壷に石を入れたあとに小石を入れて砂を入れて水を入れて、ここから何がわかるでしょう?っていう問いかけがある。答えは「探せば隙間はある」ではなくて、「最も大きなものを最初に入れないと、もう二度と入れられない=人生において一番大事なものを最優先にしないと、小石や砂のような瑣末なものにふさがれて二度と石は手に入らない」ってことだったと思います。これってまさに今回の押井守の話と同じだと思うんですよね。やはり毎度毎度の仕事が大勝負だからこそ、自分と向き合ってるなと思いますわ。

オンリーユーのエピソードとか、高校生の時も読んだけど今はもっと切実に感じます。関係者の話は全部聞いて、スタッフの言うことも全部聞いて、それでできた映画が全然ダメだった。同時上映で相米監督のションベンライダーがやっていて腰が抜け、次は絶対に自分のやりたいことをやると誓ったという話。

今日、新人時代のメンターの方と久しぶりに面談をして長いこと話をする機会があったのですが、「自分が目指している像はなんだろう」というのを改めて口にする機会になりました。が、やっぱりその像って昔から変わってないなーとも思いました。これだけ色々な考え方に触れてきたけど、やはり根本的なところは高校時代から変わっていない。自分が勝負すべき分野、スキル、趣味指向みたいなものを、割と昔から理解していたってことになるんでしょうかね。

世間からのニーズもあり、自分の強みを活かすことができ、なおかつ自分がやりたいと思う分野。それはプログラミングではない。パトでいうところの遊馬とかのポジションではない。やっぱり自分は後藤隊長になりたいと思っています。攻殻でいえば荒巻。でも、後藤隊長とか荒巻になりたいわりに、出たがりなのがまだ青い。