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2月, 2015の投稿を表示しています

言ってることが変わってない

と言われた。先週末、大学野球部のOBで会合みたいなことをやったときに、昔からよく話していた後輩に言われた。何を喋っていたときかというと、あちらを立てればこちらが立たずとか、トレードオフとか、そういうこと。勝つために戦え!とか、あきらめる勇気とかそういうことでもある。何かを捨てるのが好きなわけではない。捨てたりあきらめたりしないで済むならそれにこしたことはないと思ってはいるものの、実際のところ、どっちも得るなんてことは起きたことがない。 なんで言ってることが昔と変わっていないのか考えた。考えを変えるような出来事が起きていないからだと思った。細かい部分ではかなり変わっているのだけど、この前はそこまで話したわけではない。大枠が変わっていないということだけ伝わってしまったんだろう。でもさあ、望めば願いは叶うよとか、努力は裏切らないとか、この歳になってそんなことばっかり言ってる奴なんてうっとうしいと思うんだよね。大人はシニカルであれ、と言いたい訳ではない。明るくて前向きなだけの人っているけど、そういう人って世の中とか人の心とかをちゃんと正確に見ているんだろうかと思うことがある。 社会の仕組みも、他人の心も、自分のためにあるわけではないと気づかされるときが来て、そのとき何を感じるか。自分の望んだ通りにことは運ばないと思い知らされて、そのときどうするか。そういう話だと思うんだけどなあ。諦めないために自分を変え続ける必要があると、僕の場合はそういう結論に至ったわけなんですけど。

HSK1級、2級に合格しました。

12月に受けたHSKの1級2級試験は無事合格し、今は3月末の3級試験に向けて勉強を始めた。2級までは大学で1年ちょい勉強すれば受かるレベルらしいので、日本人である自分としては全然自慢にならないのが悲しいところ。3級をとってもう少し実力を上げたい。もちろん4級までは自習でなんとかしたい。3級レベルまでの文を瞬間作文できるようになればだいぶコミュニケーションもできるようになるはず。台湾に仕事で行くことがあるかどうかは別として、中華圏に行くこと、中国語話者と仕事をすることが今後増えるのを見越しての勉強と位置づけて継続している。 現地語を話せることがどれだけ大事かというのを痛感している。いくら会社で英語を使うことが増えたといっても、外国人が日本で働く上では日本語を話せないと拾えない情報がとても多い。もし自分が英語圏にいったとして、全く話せない人よりは全然動けるだろうが職場を離れたらキツいというのはものすごく感じる。この前グループの飲み会にいったときも外国籍社員がたくさんいたが、飲み会での会話が一番困った。結論とかないから。相づちを打ったり、適当な話題を振ったりすることが難しい。柔らかいコミュニケーションを外国語で取ること。日本語でもできていない部分だが、早急に改善しないとまずい。 日本語ではどうか、というのももちろん感じている。日本人だから日本語はできるというのは思い込みで、どれだけ適当に言葉を使っているか。今の仕事が企画で、企画書を書いて誰かを説得するのが仕事だからか、「この言葉はどういう意味で使っているのか?」というのを徹底的に考える。頭に浮かんだ通りに言葉に落とすとだいたい寝ぼけた曖昧なものになってしまう。コンサル的に整理するのは当然としても、整理しただけじゃ伝わらない。そこにどういう言葉をはめるのか。どうせやるなら豊かな表現力が欲しい。それが個性になるから。 ということで最近は短歌の本を読んだりしている。短いフレーズでどれだけイメージを膨らませられるか。技法としての短歌からエッセンスを学びたい。まあ学びたいといってるうちはダメで、実践していかないと磨かれないんだろうが。