仕事を進める上で、どうでもいいじゃん!と思うことがある。まえの職場だと議事録の言い回しとか。伝わるだろ!と思ってもそこの流儀に合わせないといけない。誰も読み返さないのに… 今だと、やってみないとわからない系の仕事にたいする事前の見通しとか計画とか。それも新規事業みたいなものではなく、新しい業務フローとか案件管理とかその程度なんだが、まるで橋でもかけるみたいな感じのものを求められる。むかし、前職のリーダーが入ったばかりのときに、ここではこのレベルの改修を五人日でやるのか!と感動したものの、上長に承認を得られずロジック修正で5人日かけた(結局10人日になった)と笑ってたが、それ以上のことが起きてる感じ。なんでこうかるのかなー。 文化が違うから俺が合わせないといかんのだが、そんなにコストかけて見合った効果出てる?という風には思う。そりゃしっかり考えて根回しもしたぶんいいものにはなったが、いくら使ったの?という。お金も時間も。電通にやっぱ似てるんだよな。いくらかけたかは気にしない。やり切るとか、考え抜くとかを是とする文化だと、同じことをより安く、より楽にやろうという風にはならないのかね。これは斜に構えすぎか… いまもサイトやらシステムやらを閉じる作業を定型化しようとしてるのだが、金回りが絡むとシステムごとに違いがありすぎ、定型化のメリットが出なさそうな気がしている。まあそれを知るためにもとっととやれよ!てことなのだが、気がのらないなー。