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4月, 2010の投稿を表示しています

闘争心

自分にはもう闘志がないのだろうか?何と戦おうとしているのか?誰に勝とうとしているのか?まったくもってわからない。どこかで相手を殴り倒したいと思っていながら、誰かが用意した土俵に上がることを拒んでいる感じだ。拒んでいるというのは正確ではないが…。 この短い期間で、一日の長がある奴に追いつけないからただ苛立っているだけなのかもしれない。だとしたらまだいい。闘争心がなくなっていないから。でも「先は長い」とうそぶいて、全力を出せなくなってしまうようにはなりたくない。先が長いのは事実だから、何も考えずがむしゃらにやるのがいつも正しいわけじゃない。でも、全力でなりふり構わずやらねばならない時もある。そういう時が早く来て欲しいと思いながら、今がそうじゃないってことに対し、苛立っているんだろうか。 単純に、自分以外の奴が勝っているのが許せないだけか。でもそういう気持ちをなくしたくない。全部勝ってみせる。時間がかかっても。今度は自分がわがままになるよ。聞き分けのいい人間をやるのはしばらく止める。もう飽き飽きした。

休日の過ごし方

この土日はずいぶんゆっくりしてしまった。休日だからいいんだけど、同期の中にはHTMLの勉強をしたり、自主的に画像いじったりした人もいるんだろうな。。僕はしてないけど。どの道同じことをしたらガチ開発上がりの人に勝てるわけないんだから、いかにシンプルにするか、ということにしか勝機はない。開発の人がやらないであろうことをやって、相対的に目立てばよい、と考えてます。その方針を事務局がどう評価するかは知らないけどね。まあどうせ最初に落ちる割合の方が高いんだから、狙い球を絞らなきゃ打てる球も打てないってことだ。 土日も作業すればいくらでも積み上げられるんだろうが、仕事って、やればやるほど溜まっていくんだよね。全部片付くってことはほとんどない。主務の時なんかそうだったし。だからどこで切り上げるのかが大事だと学んだ。そうじゃないと家に帰ってからも、土日もずーっと仕事をしてなきゃいかん。寝る時間もない。寝るな!という鬼もいるんだろうが、それじゃあ翌日動けない。翌日休んでいいならやるけど、そうじゃないんだから体調管理も仕事のうちだ。 今日は天気もいいし、3時くらいから多摩川まで走りに行ってきた。こういう陽気に走るのは本当に気持ちいい。仙川沿いの花が綺麗だった。大学で部活やってた時は向ヶ丘遊園でラーメンを食べたあと、そこから成城学園前まで歩いたこともあったけど、その時はここの風景がずいぶんぼんやりして見えた。自分の精神状態がよくなかったからなーと思い出す。あの時は楽しそうに歩く親子連れなんかを恨めしそうに眺めながら歩いてた記憶がある。でも今日は全然そんなことない。 走ってるときが今は一番落ち着くし、無心になれる。自分の呼吸と脚の調子以外は何も考えてない。こういう状態にたまにならないと、きっとおかしくなるんだろうね。仮にどんなに忙しくなったとしても、こういう時間をとることを怠らないようにしたい。 体や精神を壊したら終わりなんだ。今の時代、死ぬほど働いたら本当に死ぬんだから。

今週も折り返し

さて一週間もまた中間地点。最近平日で自主的に勉強しているのは通勤中の英語くらいだけだな。あまりよくない…ただ実質満員電車の中で本を読めないので、英語のCDを集中して聞くのもいいだろう。少なくとも8月くらいまでは続けたい。本は週末読むことにしよう。 相変わらず営業は続いていますが、未だに数字を伸ばせる人と、そうではない自分のような人とでは差が開く一方。何が原因なのかと考えて、それは明らか。友人の数、自分の代わりに動いてくれる友人の多さ、初動の早さ。この3つが主な要因だろう。友人の数はいくつか分類があって、絶対数のほかに、自分以外の同期と被らないコミュニティにいくつ所属していたか、というのが大きい。僕の場合、コミュニティが少ない上、中高が被っている同期が他に5人いるのがけっこう痛い。とはいえ、それも初動が早ければ解決できた問題で、そこは反省しないといけない。友人の転換率を考えて後回しにしてしまったのが、最低目標を採ったあと伸び悩んでいる原因なんだろう。 ただ自分の代わりに動いてくれる友人がいるかどうかは、それまでの本人の生活や、コミュニティの性格によると思うんだけどね。 まあそんなことを言っても始まらない。いずれにせよあと少しやらなくてはならないんだし。結果はどうあれ、あがくことをやめてはいけないね。 ただ研修プログラムは相変わらずおかしいなと思うことが多い…。後出しジャンケンをプレイしているみたいだ。求めているものが明確にあるなら提示してほしいし、あがくことで何かを見つけて欲しいと思うのならそう言って欲しい。単に準備している側も手が回っていないようにしか感じられないが、それで大丈夫なのか? まあそんなこと、僕が知ったことじゃないけど。自分の身は自分で守るんだ。

近況

全体研修も折り返し地点を過ぎたところ。わけもわからず受けていた頃に比べれば、同期の様子もわかってきたし、会社の雰囲気や人事部の人びとの性格も、なんとなくだがつかめてきた。慣れてしまうのは怖いことでもあるが、慣れなければいつまでもムダな緊張をすることになるので、良い方に捉えるようにしたい。失敗しないためには失敗しない仕組みをつくるべきだし、今の段階ではそもそも失敗して指摘されないと行動規範が出来上がらないしね。 何日か研修を受けてみて感じるのは、新人の多さもあるだろうが、プログラムの不手際が多いということ。事前に予測されているのだろうが、それにしても結構単純な問題が何度も起こっている気がする。全員が一斉にアクセスしてサーバーに高付加がかかるとか。そういうのも予想して時間を組んでいるんじゃないのかな。もしそうじゃないのなら、あの時間の組み方は「消化ありき」「滞りなく進行するという前提のもと」で組まれているということだから、あまりにも楽観的というか、稚拙な仮説に基づくものだといわざるを得ないが…まああれだけの人数を相手にしたことないからな。 あともう一つ感じるのは、「考えて行動しろ」って具体的に何を求めているのか、ってこと。それを自分で考えろ、というのは簡単だけど、絶対に向こうで期待している行動があるわけで。だったらそれを伝えて欲しい。こっちは社員としての基礎ができていないんだから、そのくらいは教えてくれないと、こっちも向こうも困るはずなのにね。「考えて野球せい」っていうのは誰でもできるけど、具体的に何をすればいいのか言えなければ監督として失格でしょ。ピッチャーとして、マウンドではバッターのどこを、いつ、どういう風に見ればいいのか?それをどういう風に解釈すればいいのか?こういうのすら自分で調べろっていうの?時間の無駄じゃん。知ってる人がいるんなら。 とまあ、ちょっと感情にまかせて書いてしまったが…これからもう少しおとなしくしようと思います。ただ、日々感じる疑問は大事にして生活していきたい。今の状態が最適なわけないからね。

後輩の試合を見てきました

今日は営業も兼ねて後輩たちの試合を観に行ってきました。懐かしいような気がするけど、リーグ戦が始まったのは昨日なわけで、あのグラウンドから離れていた時間は今の現役部員たちと同じなわけです。それでも懐かしいと感じたのは、野球から離れた時間の長さなんでしょう。野球から離れて既に5ヶ月ほど経ちますからね。 あのグラウンドに行くと色々なことを思い出しますが、全て辛くて面白くないものばかり。客観的に見れば、なんとさえない記憶なんだろうという感じです。華やかなものは何一つない。でもそれは確実に、今の自分を形作っている要素なんですね。あれがなければ今の自分はない。それがなければ違う自分になっていたのだろうけど、それを想像することは無意味です。 あの経験が意味のあるものだったのかどうかは、自分が決めることです。経験が経験足り得るのは、ひとえに解釈とその後の行動にかかっている。素晴らしい体験をすれば、素晴らしい学びが得られるわけではない。素晴らしい体験ができなくても、そこから搾り出して血肉にすれば、多少ひねくれた形でもものになると感じています。 レギュラーを獲得し、グラウンドを縦横無尽に駆け回っていた男たちは今どうしているか?OBに連日連夜豪勢な食事を振舞われていた男たちは?キャンパス内で多くの友人に賞賛され、卒業式で表彰される栄誉に預かった男たちは?彼らは今どうしている? あの日々は全て終わった。やっと僕の再スタートなのだ。くすぶり続けた4年間を無駄にはしない。あの日々を経験したからこそできることをやっていく。何年でも。 社会人が厳しいだと?そんなことも知らないで社会人になったのか?

丸腰で登山はできない

研修がすさまじいスピードでこなされていくことに驚いています。コンプラとかマナーとか、もう終わっちゃうの?という感じだったのですが、自分のことなんだから、あとは自分でフォローしろっていうことですね。それが社会人です。自分の身を守るのは自分です。与えられて当たり前、教えられて当たり前から早く変わらねばならない。結果的にそれが自分のためになるのだから。 研修といってもお話を聞いているという形式なので、そこから何を感じるのかが勝負となります。たくさんの人がいて、たくさんの考え方があって、その結果たくさんの人生が刻まれている。正解はない。でも満足しているかどうかは明確に差が生まれる。少なくとも研修でスピーチする方々は皆自分の人生に満足しているだろう(そうは言わなくても、生まれ変わっても同じ生き方をするだろうという意味で)。だとすれば自分が目指すべき人生も、自分で満足できるかどうかというきわめて主観的な指標で測るべきだということになる。では、自分はどういう人生なら満足できるのか?これをしっかり突き詰めていかねばならない。 就職活動の際は、この問題を棚にあげていた。そうしないと内定が取れないから。でも今度はこれを考えないと、惰性で作業するだけになる。「世の中に広く影響を与えられる人間になりたい・そういう仕事がしたい」といって入社した。それはどういう意味なのか、真剣に考えてみる必要がある。 それが「現場なんて嫌だ。指示をする立場でいたい」だったら困るわけだが、大学時代に超がつくほど泥臭い現場仕事に携わった身としては、現場の大切さも知っているつもり。だからこの言葉の意味するところは「ふもとだけでなく、高いところに立って世界を見渡してみたい」「自分の知らない世界を知りたい」「誰も知らない世界をつくってみたい」という、非常にわかりやすく、典型的な若者の夢なのではないかと思う。 そのためにはとりあえず、技術・知識・語学などなど、今の自分にない力を身につけることだ。無知な素人が丸腰でエベレストには登れない。山を知り、体を鍛え、装備を整え、ベストな天候を選び、綿密な計画と優秀なシェルパをつけて初めてエベレストに登ることができる。今の自分は無知で丸腰だ。多少頑丈な足腰があるくらい。だからこそ、じっくり基礎固めをしなくてはならない。今無理しすぎると怪我をする。致命傷になりかねない。

研修

研修2日目終了。疲れる。社会人がきついというより、研修というのがきつい。座りっぱなしで受身で、声も出さずに集中する。見られているというより、監視されているという圧迫感。働く上での通過点とはいえ、こういう雰囲気は大変だ。でも今日の話に限って言えば、もっと面白くできたはずだし、人事の動きもそれほどよくなかった。学生気分を取り去ろうという意図はわかるが、バタバタしすぎな感じ。場所が新しいのもあるけど。毎年内容が変わっているのと人も変わっているので、研修の歩留まりがわからないのが原因だろう。そこらへん大企業はゆったりしているようだ。歩留まりがわかっているからだろうね。 研修課題が出たが、特に不服はない。やるしかないってのもそうだし、やれるようにならなきゃお先真っ暗ってのもある。でもそれ以上に、できないことができるようになっていく人材になりたいからね。 実は僕ってすごく独立したいのかも。いや、ただ人から命令されるのが嫌いなだけか。