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8月, 2011の投稿を表示しています

疑問を持つ力

疑問を持つというのは誰でもできるようで、そうでもないということを最近感じている。疑問そのものは誰でも持つが、何にどういう疑問を持つかということが難しい。面白くもないことに面白くない疑問を持ってしまうのが一番いけないが、一番やってしまうことだ。そうすると最悪で、くそつまらない至極当たり前な結論が導きだされる。「ああ、聞かなければよかった」という。 BSの野球解説で、伊藤勤さんがオリックスの2年目捕手について「一年目はコーチや先輩にいわれたことを実践するだけでいいが、2年目3年目からはそれに疑問を持ち、自分の考えを出していかないといけない。そうでないと伸びない。」みたいなことを言っていた。スポーツの世界にはそのような暗黙の了解があるのかもしれない。まずやってみて、それから判断しろ。ただしそのためには常に考えていろ、みたいな。指導者側にもそうやって伸びたという意識があるから、新人が最初は右も左もわからなくても当然だと思っている。そこから少しずつ疑問を持つ力のある選手が育っていく。 何に対して疑問を持つのか。どういう風に疑問を持つのか。目のつけどころと問いのたて方。これは技術だから鍛えないと伸びない。でもどうすれば伸びるのか、誰も教えてくれない。ロジカルシンキングとかは本があるが、それは問いが立ってからの話。結局のところ、過去に立てられた面白い疑問を探して、その経緯を調べていくしかないのかもしれない。 自動車のスズキでは社長にそういう力があったらしい(うろ覚えだけど)。車体を軽くするために話し合っていて、「エンジンを取り外そう」と言ったとか。さすがに実現しなかったのは今のラインアップを見ればわかるが、エンジンはどのくらいの重さがあるのか、外しても自動車として成り立つのか、というようなことを発想できなければ出てこない。 作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんは、『ジミーの誕生日』の中で「夜の焼夷弾はなぜ美しいか」という問いを立てている。そういう記述がいろいろな文献に見つかるからだが、そもそもの問いが面白い。しかも調べると、焼夷弾の構造にいきつく。油に浸された欠片が筒におさめられていて、投下されると筒が破裂し、着火した欠片が燃えながら落ちてくるという。だから火の雨がふっているように見えるとか。この疑問がなければ構造を調べることにはいきつかない。 翻って、

夏休み明けの仕事は辛い

いや本当に。仕事で辛いというより、休みが恋しくて辛い。体力的に無理と思ってやらなかったことも多かったが、なぜやらなかったんだろうという後悔が襲ってくる。来年の夏はもっと遊んでやろうと誓う。 しかし今週は新鮮な目で自分の仕事を見、感じることができた気がする。長くはなれていたせいか、浦島太郎的な感覚を味わっているのかもしれない。前からなんとなく感じてはいたが、うまく言葉にできなかっただけかもしれない。休みを経て変わるというのは、灰谷健次郎『兎の目』の女性教師を思い出させる。特に強く感じたのは以下4つ。 1. 知識より知恵が欲しい。 2. 報告、連絡、相談を要求するのはパワハラではないか? 3. 聖人君子はいない。 4. 大企業に行く学生はやはり優秀(多義的に)。 1. 開発をする上で、技術的な知識のなさで止まっていることも多いが、それ以上に、問題を解決する手段を知らないせいで止まっていることの方が多い。例えば、どうやっておかしなコードを見つけるのかということ。firebugでhtmlを展開していけばいいとか、とりあえずvar_dumpをおかしそうな変数で入れてみればいいとか、そういったこと。こういうのは研修では習わなかったけど、絶対に必要だろうと思う。というか1年前から思っていたらやはり現実になった。「なんとなく知っていて、手も微妙に動く」という状態より、「よくわかんないけど、手は動かせる」という状態になっていた方が「仕事」はできる。それじゃいけない時期はくるんだろうが、少なくとも今はそういう状態になりたい。車の仕組みを知らなくても運転はできる。 2. 何を知りたいのかは上司の方が知っているんだから、こっちに空気を読ませるよりそっちが聞いた方が早いと思うのは、学生気分が抜けていないのか。報告しろ、相談しろと言われても、何を言えばいいのかわからない。それより定期的に聞いてくれた方が、こっちも何をどういうタイミングで言えばいいのかわかり、そのうちお互いに幸せな状況になるのに、と思う。どうやら中国ではそうらしい。みんなそうなれ。 3. 会社をどう見るのかによるが、僕は会社は烏合の衆、寄り合い所帯だと思っている。そこには聖人君子は存在しないし、いても迷惑だと思う。だから皆が同じ方向を向いて、同じ気持ちで戦うなんてことは幻想で、腹の内では探

夏休み

この夏にやろうとしてできなかったこと。 1. ウィンドサーフィン 2. スタンドアップパドルボード 3. 登山 できなかったのは、午前中海いって午後に走ると予想以上に疲れが残ってしまったから。10日あったとはいえ、そもそも予定をつめすぎていた可能性大。 この夏にやろうとしてできたこと。 1. サーフィン(long, fun) 2. 走り込み 3. 全日本大会観戦 これは予定通り。ウィンドとスタンドアップパドルはウェットを着るので、9月以降にやろう。どのみち何回か通わなければならないので、気長に計画しよう。 仕事以外の体験の幅をもっと広げないといけない。今のところ、野球と海と自転車だけなので、それを山とか小旅行にも広げていきたい。「やったことがある」というのが自分の財産になるときが来るだろう。椅子に座って想像を巡らしている暇があったら、すぐに動く方がいい。 今年の夏も多くの事故があって多くの人が死んだ。未来の計画なんて死んだら無意味だ。できることはさっさとやってしまおう。労働と勉強は全力でやるのに、遊びは全力でやらないのでは何のために働いているのかわからない。

闘志

大学準硬式野球の全国大会を見るため、札幌までいってきた。慶應義塾大は初戦で九州産業大にサヨナラ負けを喫してしまい、2年ぶりの全日は一勝できずに終わるという結果になった。選手たちは辛いだろうが、燃え尽きずに秋を見てほしいと思う。 試合後の選手たちを見ていて、久しぶりに飢えている人間の表情を見た気がした。ユニフォームを着て、グラウンドでプレーすることに飢えている表情。自分は決して劣っていないのに、という思いがにじみ出た表情。応援中は決してでないところがすばらしい。でも、そういう表情ができるというのもすばらしい。闘志を燃やし続けるっていうのはこれからどんどん難しくなっていく。今はくすぶっているだろうけど、必ずその思いが報われるときがやってくると思う。それが現役の間ではないかもしれないけど。 一度消した闘志は二度と戻らない。自分は結果は出なかったけど、闘志は消さなかったと思っている。だから今につながっている。くすぶっていた時期も必要だったということを忘れたくない。それをもう一度思い起こさせてくれた北海道遠征だった。

誕生会

今日は延期されていた会社の誕生会にいってきた。5,6,7月合同なのですごい人数。でも久しぶりに帝国ホテルにもいけたし、地方にいる同期や先輩にも会えたし楽しかった。自分の周りは本当にいい人ばかりだと思う。こういう環境に恵まれてよかった。 自分が入社して1年ちょっと経つけど、今残っている人を見ると、やはり共通点があるなと思う。逆境に強いこと。でもそれは人によって強さの種類が違う。すさまじいタフさで逆境に勝つ人もいるし、そもそも逆境だと思わない人もいるし、ものごとを楽しむ方法を知っているおかげでうまくやりくりできる人もいる。そういうのは人それぞれだけど、自分のやりかたを持っている人が結果的に残っているのだなと思った。 自分は他の人よりタフな方だと思うけど、タフなだけでは今後ダメだと思う。それよりも、軽く受け流したり、楽しくやる方法を考えて実行したりする方が大事。ストレスに勝つのではなく、ストレスを消すという方向。戦っている人は人を寄せ付けないからいけない。周りを巻き込むためにはそもそもストレスなんて感じてませんよという風にならないといけない。そういう人に引きつけられるはずだから。 そういうスキルは今後も意識して磨いていかないと。他人からの視点で自分の行動をコントロールしないといけない。楽しそうにやっている自分を演出できれば、自然に楽しくなっていくはずだ。それは楽しそうにやっている人の内部まで分析して初めて可能になることだから。