スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

9月, 2012の投稿を表示しています

読書日記

最近読んだ本、観た映画の話など。一部昔のも入ってますが。 ■『沈黙』遠藤周作 疑問 「こんなに苦しんでいるのに、神はなぜ助けてくれないのか?」 結論 「神は助けてくれないのではなかった。一緒に苦しんでいたのだ」 ■『マネーロンダリング』橘玲 法律の話はかなり流して読みました(複雑なことはわかった)。経済小説というのを抜きにしてもこれは面白い。この小説は特に人間描写が非常に優れていると感じました。 「あんたの悪いところは、算数のように答えを出したがるところだ。」みたいな台詞があるのですが、それにつきる。 ■ゴジラvsメカゴジラ 子供の頃観たのをiTunesで再度観る。あれ、こんなんだっけ?観客に一切疑問を差し挟む余地を与えず進んでいくストーリー、って感じ。まあこれが平成ゴジラの最初じゃないってのもありますが。あまりにもゴジラが当たり前の存在になりすぎてるって感じかな。 ■平成版ガメラ三部作(金子修介) 怪獣映画を舞台に繰り広げられる監督たちの攻防って感じでした。ガメラのあとにゴジラvsメカゴジラを観ると、平成版ガメラがいかにドラマとして優れているか、と感じます。ゴジラの方は理解しやすいようにできすぎている気がする。ガメラは自衛隊、民間人、政府関係者などのストーリーが平行して動いていって、そのどれもが子供向けにマイルドになっていないところがすごい。 このガメラ製作陣の仕事の仕方は、自分も多いに学ぶことがありそうだと感じました。 ■シャイニング(スタンリー・キューブリック) 移動撮影のパイオニアらしい。たしかに言われてみればカメラが動く動く。が、ストーリーはちょっとわかりにくくなっている。 この作品の中だと、時々挿入されるカットが結構怖くて印象的。手をつないだ双子だったり(惨殺されているバージョンもある)、エレベーターから赤い水が吹き出してきたり。あと子供が「Redrum」とつぶやいて扉に落書きして、母親がそれを鏡越しに見たら「Muder」だった、ってシーンは一番怖かった。なんだかんだ印象的。 ■ユージュアル・サスペクツ(ブライアン・シンガー) サスペンスの名作らしい。でも結構新しいよね?1995年。誰が犯人か?と思って観ていて、最後の方で犯人かと思われる奴がわかり、でも自白している奴が嘘ついてたら全部ひっくり返るよなーと思

勝敗論

日経ビジネスオンラインで押井守のコラムがスタートしていました。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120614/233355/?rt=nocnt 押井守の勝敗論を名作の紹介をしつつ展開する、という流れのようです。この監督の作品は高校時代に猛烈にはまり、卒業論文にまでしたくらいなんですが(しかも優秀作品に選ばれた)、当時はよくわからなかったことも社会人になった今だと「そういうことか」と思えることが結構あり、あらためて面白いなと感じます。高校生のときは制作時のしがらみとか、監督が戦うべき相手とかそういう話は理解できなかったはずなのに、そういうところがこの監督のユニークな部分だとなんとなく感じていたと思うと、自分のセンスというか感受性の根っこの部分は当時からあまり変わっていないんですね。 映画監督においての勝利とは何か?黒字にすることではない。ハリウッドで成功することでもない。押井守にいわせると、映画を撮り続けられることらしい。ゴダールの映画で黒字になったのはデビュー作の「勝手にしやがれ」だけらしいですが、それでもゴダールは映画を撮り続けることができた。それはなぜか?(コラムでは答えは明示されていない) 周囲に「あいつは勝った」と思わせること、「負けていない」と思わせることが大事なのではないかと感じました。自分が「負けてない」と思うことは第一歩だけど、自分しかそう思っていないのではやっぱり仕事はなくなるわけです。周りの人が「あいつは負けてない」と評価してくれて初めて負けてないことになる。ここでいう勝負は相対評価みたいなもんだから、印象とかそういう面がとても大切になってくるんだろうな。  もしかすると押井守の話は、勤め人の発想であって起業したい人や独立する人には関係ねえよと感じる人もいるのかもしれない。でも独立していようがいまいが、仕事は誰かから頂くものではないかと。クールで世の中を変えるバリューのあるソーシャルなんとか(自称)をつくったところで、誰かが評価して使ってくれたり、金を出してくれないと自分の金が流れ出ていく一方なわけで。その評価してくれたり、使ってくれたりする(であろう)人に対して、いかに説得できるか、説得するための言葉を用意できているかっていうことが大事なんではないのかと

雑記

この夏で体重が増えたので、今減量中です。今まで炭水化物を減らすことはしていたけど、そもそもそんなに炭水化物をとっていなかったのであまり効果がありませんでした。昼に眠くなることはなくなったけど。このままだと体重が減らないので、昼に揚げ物、ハンバーグなどカロリー高いものを口にしないことにしました。カフェテリアでは魚系を食べる。なかったら一番カロリーの低いものを。自分の基礎代謝が1800kcalくらいで、夜の食事を1000kcalだとすると、昼に800kcal以上食べてしまうと意味がなくなるから、昼は500kcal程度におさえたい(朝はヨーグルトくらいなのでたいしたことない)。日々-300kcalを継続すれば、脂肪1kgが燃えるのに7200kcal必要だという亀田興毅理論に基づけば1ヶ月で約1kgの脂肪が燃える。3ヶ月で3kg。すばらしい。もちろんこれは食事制限のみの数字なので、途中で運動とかすればもっと燃えるんだろう。たぶん。週末に走ったりしよう。少しでも燃やそう。やろうと思ったらどこまでできるのか、という経験を持っていないと、いざ減量が必要になったときにできない気がするので。。。  思い切ってスーツ買ってみました。春夏もののセールでお直しふくめて25,000円だったのでよかったです(アオキとかではない)。これからはもうそういうセールとか狙っていこう。しかしスーツとかはいい店を知っているかどうかが重要だな。自分の体型に合うかどうか。 国立新美術館にいって「具体」展見ました。昔と比べて自分の中に現代美術への興味が薄れてきたのを感じます。今の仕事で充分表現ができているからかもしれない、と思いました。そうだとすると、自分は表現がしたかった人間なのか、と思ってちょっと複雑な気持ち。まあ人間誰しも表現したがるものだとは思いますが。とりあえず、売れない芸術は意味ないってことは改めて思いました。Real artists ship.だそうですので。 自分が今就職活動をしたらどうするだろう、と考えて、まずは業界分析と会社分析だよな、と思いました。自己分析はしないと思います。どういう業界があって、その中にどういう会社があるのか。その業界は誰にどういうものを売って稼いでいるのか、というところの理解から入って、業界の1, 2, 3位はどういうところで、何か特徴はあるのか、みたいなと

9月になりました

ついに9月になった。7月の末から参加したプロジェクトがついにお客さんの目に触れる。真夏の太陽やお盆休みどころではなく、精神的なゆとりや自分の職業的未来、会社の存亡(はいいすぎか?)がかかって胃が痛かった日々がついに終わる。昨日は土曜日だったけど出社して監視。そしていきなりの個別対応。ある程度予想はしていたけど、やっぱりバタバタしてしまった。自分のゆとりのなさが泣けてくる。結局はいつも書いていることだけど、予想が精緻でないのが全てなのだ。本当に想定外のことなんて、実際はほとんど起きない。 とんでもなく長い時間をこのプロジェクトと一緒にすごしてきたような気がするけど、せいぜい1ヶ月弱なんだな。それでもこれと一緒に迷い、苦しみ、時には怒ることもしてしまった。短い時間だったけど、多くの試行錯誤とその跳ね返りを経験した。問われているのは「お前はリーダーとしての自覚はあるか?」ということだったと思う。 なぜ自分は正社員なのか。なぜ自分に仕事がまかされているのか。何を期待されているのか。どういう動きをするべきで、どういう結果で応えるべきなのか。 技術力とかマネジメント力とか、つけなければいけない力はたくさんあるが、自分がチームに貢献するためには、リーダーの分身にならなければいけないのだと思った。プロジェクト単位なら、prjリーダーの分身。リーダーのように考え、リーダーのように行動せよ。仕事を終わらせるためにリーダーの力を借りなければいけないのなら、自分がリーダーであるかのように振る舞い、考え、決断を下す。介入を待っていてはいけない。知らず知らずのあいだに、リーダーに入ってもらうことを期待してはいなかったか。どこかで助けが入ることに希望をもっていなかったか。 実際は助けなどこない。そんなことされたら恥だ。無能の証明だ。そう思ってやっていかないと。お前はいったい何年仕事をやってきたと思ってる。 他人に腹を立てるな。ほとんどのことはcontrolableで、doableだ。そう思ってやれ。 うれしいのは、結構大変なことがあったとはいえ、仕事への情熱がまったく衰えなかったこと。むしろもっともっとやっていきたい、と思えたこと。これが鼻息荒いってことか。