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5月, 2011の投稿を表示しています

ソーシャルネットワークを改めて見た。

予約していたソーシャルネットワークのDVDが届いたので、早速見てみた。劇場でも二回見たけど、やはり面白い。何が面白いかって、これからの自分の人生の指針になりそうな映画だっていうことだ。教訓に満ちている。単にITが成長する業界だとかいうことではない。競争社会の中でどうやって生きていけばいいのか、どういうやつが生き延びて、どういうやつがふるい落とされるのか、そういうのが疑似体験できる映画だという点が面白いのだと思う。 ワタミの社長も言っていたらしいし、自分が働いている会社の社長も言っているが、目標から逆算して考えないと、NYでクッキー会社にこびを売るはめになる。はじめから10億$の事業をやるつもりで考え、行動していないといけないってことだ。そのためにはよけいなものはやってはいけない。目先の運転資金は必要だとしても。そこが課題なんだろうけど。 また、大きなビジネスをしていく上では、一つの欠陥もあってはいけないということを改めて感じた。自分が結ぶ契約書に、「今後増資をしていく上で、現在の持ち株比率は保証されない」というような条項を見逃すような奴はダメだということだし、100万人の会員突破記念パーティを開いて警察につかまってしまうような奴もダメだということ。いいところまでいっても落伍者になる。完全試合は9回まで投げきってこそ成り立つんであって、9回二死で打たれたらただのナイスピッチ。凡庸な記録。ホームランでも打たれようものなら負け投手になる。最後までやりきってこそだ。 実行力と完遂力。とにかく問題はそこか。

ドキュメント

GW明けから2週間が経とうとしているけど、感覚としてものすごく早い。GW前と明けとで何が違うかと言えば、明けてからは今のプロジェクトが設計段階から開発段階に入り、手を動かせるようになったということか。まあ厳密にいえばいじりながらの設計段階なんだけど、それでも自分で確認しながら設計書(Wiki)を書いていくと、時間が経つのが早い。没頭してしまう。トライアンドエラーっていうのはこういうことを言うんだろうなと。 最近になって、設計書や手順書のようなドキュメントを書くというのも面白い作業なんだと思うようになった。きれいなドキュメントはきちんと理解していないとかけないし、書くまでにいろいろ調べたり確認しないといけない中で、自分に知識がどんどんたまっていく。それを形にして、無駄を徹底的に落として、そのプロジェクトを全く知らない人を読んだレビューで一発で理解できるようにするっていうのは、なかなかに職人技だなと。本当に、わかりやすいドキュメントというのは無駄がないし、適切なところに最低限のコメントがあるだけ。 コードを書くってのは一番大事だけど、毎日コード書いていられるわけじゃないから(そもそもリリースするためにコーディングしているわけだし)、ドキュメンテーションとかでプログラマーとしての力をあげることも必要だろうと思う。というより、そこから多くを学ばないと限界がある。一流の人がどんなことを考えてどんな風に書くのか追体験して、それを模倣することから始めなければ。 皆がいやがる作業から多くを学ばないと、素人が伸びるわけないんだからがんばろう。

スーパーエンジニアの退職から将来を考える

会社のスーパーエンジニアがまた一人退社するらしい。直接知っている方ではないが、twitterやブログで拝見しているので、けっこうな驚き。すごいエンジニアの人が会社を去るのは、やっぱりちょっと不安になる。 以前別の方(その方も退社された)に言われたのが、「うちの会社は技術的にかなり特殊。しかも高度ではない。」ということだった。まあすべてが高度じゃないという訳ではないと思うが、それでも今の環境が当たり前だと感じてしまうのは怖いことだと思った。技術的なトレンドに乗りおくれているのではないか、ということや、自分のスキルが会社のレベルで止まってしまい、世の中の趨勢から大きく遅れをとっているのではないか、とか考えてしまう。今はそんなレベルではないので、そこまで考える必要はないのだが。 プラスに考えれば、IT、しかもサービスを自社で生み出す会社にいるからこそ、このようなことを考えられる。全然違う業界の大企業にいたら、そんなことは考えずにすむだろう。そういう意味だと、今の状況は自分にとって意味があるし、将来的にも役立つだろう。自分の力で食えるようになりたいし、自分の人生についてきちんと考えて行動する人間になりたいからだ。 親世代の人生を疑問もなくなぞって、最後に「こんなんでよかったのかな」は絶対に嫌だから。

不幸だ病

飛び石で平日なところに有給休暇をあてたおかげで、今年のGWは9連休になっています。そのおかげで、たまっていた本もけっこう読めたし、カヤックにもいけたし、見たかった映画にも行けたし、有意義な日々を送れています。同期には休めていない人もいるし、会社が違えばそもそも祝日も業務がある人がいることは知っていますが、それは会社が違うから仕方のないことです。そのことで文句を言われても筋違いというものです。 僕らの代は今年の4月で社会人2年目になっていますが、徐々に社会人に向いている人と向いていない人との差が見えてきた気がしています。まったく個人的な印象ですが、それほど外れているとは思いません。僕が思う「社会人に向いている人」とは、以下の2つができる人です。 1. 環境を客観視できる 2. 出来事に意味を与えられる 1. 自分の仕事内容、職場環境、待遇などを、周囲と比べてどうか、また過去の自分と比べてどうかというように考えられる能力は、意外と備わっていないようです。これがない人の典型的な思考として、「自分にふさわしい仕事ではない、くだらない、上司や同僚は馬鹿で無能だ、客が厄介だ」のように、自分が直面していることが世界で一番きついかのように考えてしまいます。そんなはずないにも関わらず。 2. また1.ができないと自動的に2.もできないです。自分が世界で一番不幸だと思っている人に、自分が直面している状況に対して独自に意味を見いだす力があるはずないですから。「くだらない仕事だ」「ふざけた上司だ」で終わりです。そう思ったとしても、仕事も上司も変化しないんですがね。変えられるのは自分の考え方だけです。 自分の身の回りにあまりにも「不幸だ病」「仕事が大変だ病」が多いのでこのエントリを書きました。実際に大変なのかもしれませんが、自分の身の回りの人はたいてい超のつく優良企業におつとめなので、そこでの苦労などたかがしれています。労働時間がながくても、見返りとして高給と社会的ステータス、将来の地位が保証されているので、悪い話ではないはずです。それでも文句があるなら、自分は何を求めて今の会社にいるのか再考した方がいいのでしょう。 まあ言わせてもらえば、文句言ってる奴らは学生時代に楽しいことしかしてなかったんだろ、ってことです。どんなに忙しくしてても、サークル活動で本当にきつい体験をできるとは思えない