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9月, 2011の投稿を表示しています

休み中

先々週からひいてしまった風邪がなかなかよくならない。のどの痛みがなくなったのでましにはなっているが全快ではない。ちゃんと寝てはいるのだが足りないのだろう。 3連休はひたすら本を読んで過ごした。東京都現代美術館の「ゼロ年代のベルリン」展には行ってみたが、やはりああいうものへの興味は既に失われていると感じた。世の中を変えるのは芸術ではなく商売だと思う。意図はわかるが効果はどうか。結果は出ていてもコストに見合っているか。そういう風に見られるようになったからだと思う。「で、結果は?」 デザインの本も多少読んだ。問題解決のためのデザインというのはSFCでよく見たテーマである。でも在学中から違和感を覚えていた。そんなにいいものならなぜ世の中のスタンダードにならないのかと。デザインはすばらしいが何かのせいで世の中に普及しないのなら、その何かを明らかにして取り除くべきだ。俺たちはデザインの専門家でそういうのはビジネスの人がやってくださいというのはアマチュアの言い草だ。 話は変わって、最近会社でちょっと話題になっていた「あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない」を1話だけ見た。たぶん続きはみないだろう。日本のアニメそのものに興味がなくなってきた。これだけ同じようなものを生産してそれなりに売れている(のかはわからないが)のは、お金を払っているのが同じ人ということだ。裾野が広がっていない。アニメに限らず日本のコンテンツと言われるものは、邦画もそうだけど皆後ろ向きだからあまり好きではない。批判を受けつつも市場を開拓してどかどかと海外進出までしているジャニーズやAKB48だけがすごいと思う。すごいものなら売れるはず。売れないのはすごくないからだ。 個人的な目標として、来年は中国語、ドイツ語の勉強を始める。ドイツ語は第2外国語だったからだが、中国語はやはり今後必要になってくる(とアドバイスされた)から。上層部がそう思っているのなら、チャンスをつかむためにも習得しているべきだ。個人のキャリアを考えても、海外で働いたことがあるというのが大きな武器になる時代が来る。日本のIT企業が海外進出を加速させるのなら、そういう経験のある邦人が足りなくなるからだ。現地人だけで仕事をまわすことはできない。かならずパイプ役が必要になる。 パイオニアになるために努力しよう。ITは道具にすぎない。でも開拓できる市場はきっ

英語

最近英語のことばっかり考えている気がする。一応プログラマーなのでプログラミングをしたり関連本を読んだりした方がいいのだが、それ以上に今は英語を勉強した方がいいと思っている。理由はそうしないと人間以下の扱いしか受けない時代が来ると思うから。 成毛さんが本出したり、それ以前から「英語がはなせても仕事のできない奴は云々」みたいな説を得意げに披露する人がいたりするけど、それは英語がまだ特別なスキルだった時代の話。これからはブラインドタッチができるくらいの感覚でTOEIC700程度は求められると思う。給料があがるあがらないとかの話ではなく、そのくらいやれっていう話でしかない。実際、ちゃんと自分の現状を分析してきちんと勉強していけば700は絶対いけると思う。 TOEICは足切りのツールとしてこれから効果を発揮していく気がする。英語の力ではなく、ちゃんとお勉強ができるかどうかという意味で。TOEICはマークシート形式だし、スピーキングもないし、英語力をはかるツールとしては欠陥が多い。でもテストだから、傾向と対策をきちんと行えば点はある程度あげられる。それを決められた期間できっちり実行できる奴かどうか、要するにお勉強ができるかどうかをはかるには絶好のツールになると思う。その程度のTOEICで苦しむなんてのは嫌なので、一生懸命勉強していたということ。でも今後はその程度のテストのスコアでチャンスをつかめるかどうかが変わってくるのだ。だって今後、インターネットの分野で世界に戦いの場を移していこうって時に、その程度のテストができないで大丈夫なの?という風に思われてしまうから。技術力はすごいし技術への熱意はある。でも英語はできない。そしてTOEICはやりたくない。でも世界に出たい。そんなアホなことがあるかと。熱意があるならTOEICくらいやれと。そう思われてしまうんではないか?実際今自分の会社では少しずつ社員を海外に出しているけど、(当たり前だが)TOEICスコアが足切りに使われていた。TOEICは熱意をはかるテストでもある。じゃあやるしかない。 自分としては、ライバルは少なければ少ないほどいい。そもそも技術者としてずっと生きていくかもわからないのだから。それでも日本だけで働くつもりがないことだけはたしか。だったら英語をやっておこう。技術のトレンドはドッグイヤーでも、英語は変わらない。だった

週末

この週末はちょっとゆっくりして、たまっていた本を読んだり英語をやったりしようと思う。ちょうど天気も悪いし、来週はITリーグのオールスター戦と東京バンバータ戦が続くので、それに向けて体力をためておかないと。8月は全力で遊んだので、9月最初の週末は休んでもいいだろう。 7月のTOEICで目標を大幅に越えたので、8月は英語をいっさいやらないと決めていた。9月になったので再開しているが、やはりシャドーイングは難しい。全然できていなくてもTOEICのリスニングはあがったが、これからはもっとできるようにならないと喋れるようにならないな。口が完全にフリーズしてしまう時が結構ある。これじゃあダメだ。何度も繰り返してトレーニングしないと。でもだいぶ向上してきた。得意な音と苦手な音もだんだんわかってきた。子音のTが苦手だったが、だんだん良くなっている。簡単なようで難しい。日本語のタ行とは全然違う音だということを、いかにスルーしてきたか痛感する。 話は変わって仕事の話。自分のやりたいように、やりやすいように物事を動かすためには根回しが必要。当然なんだけど。政治力を鍛えないといけない。白を黒に見せる力が必要だ。 ところで仕事のストレスというものを今まで自分は勘違いしていたらしい。本当にストレスがかかっていると、家に帰ったらほっとして機嫌がよくなるそうだ。家に帰って不機嫌でいるうちは本当のストレスは知らないらしい。

9月が始まった。

中長期のプロジェクトに入ると疲れる。それに加えてどうも兼務がつく可能性が浮上してきた。もっと疲れそうだけどいい機会だからがんばろう。なぜ疲れるかって、わからないことを手探りでやっているからに加え、指示も明確ではないのでこっちが明確にする必要があるので疲れる。指示が明確でないのは仕事の性質上仕方がない面もある。全員がノウハウ少ない中でやっているからだ。 でも何をすべきがすべてわかっているのなら、正直言ってやる必要のない仕事だ。全部書き出してアルバイトにやらせればいい。手探りでノウハウを貯めながらやるからこそ社員の仕事になる。今の自分が想像もつかないようなこと以外は、この1、2年はやる必要ない。自分がわかることをやっても今の自分以上にはなれない。 学生の頃は時間がたてば立場も変わって役割も変わった。でも今は意識的に自分を変化させていかないとずっと留年だ。想像もつかないことばっかりやるべきだ。自分のスタイルを貫くために努力して、自分を変え続けなければいけない。 1年後の自分は今と同じ地平線上にいてはいけない。今は見えないところにいなければいけない。スキルをつけるだけじゃなく、考え方、見え方も変わっていないといけないのだ。

日本語力を鍛えたい

英語を使う機会が増えて、英語を勉強するようになって感じるのは、日本語をちゃんと勉強しなければいけないということ。使えているようで使えていない。仕事の場で母国語として使うレベルではない。意識して鍛えないと、どんどんなまっていく気がする。使う機会がないから。 英語はそもそも母国語ではないから、まだそこまでのレベルにいってなくてもいい(点が取れていれば)。でも日本語はそうではない。TPOに応じて、本当は言葉遣いも言い回しも口調も変える必要がある。でもそういうことを意識しなくてもいい環境にいる。恵まれているとも言えるし、後で苦労するとも言える。後者の労をとりたくないので今勉強している。本を読めと親世代が言うのはこういうことかと思う。どういう文を言えばいいのかわからない。自分の中にストックされているものが少なすぎる。 せめて考えている時の言葉と言う時の言葉を完全に分けることは身につけたい。思い浮かぶままに喋るなら赤ちゃんと一緒だ。でも今はそういうことをしがちだし、そうしてもとやかく言われない環境だ。ここで鍛えるのは大変そうだがちゃんとやりきらなければいけない。そうじゃないとみっともない大人になる。恥ずかしい。 みっともないと何がいけないか。上を落とせない。下がついてこない。自分を証明するのがその人が出した成果なら、言葉はリアルタイムで放出される成果だ。それがみっともなければ、仕事の成果も推して知るべしだ。がんばろう。