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11月, 2012の投稿を表示しています

信号

頭上の敵機を今日DVDで観たのですが、観終わった後、いろいろな思いが自分の中に渦巻いたわけです。日経ビジネスオンラインで押井守が言ってたみたいに中間管理職の話としてだけでなく。 まったく関係ないはずですが、交通ルールを守ることと事故に合うことについて、みたいなことがふと頭をよぎりました。うまく整理できていないので以下は頭上の敵機とはあまり関係がありませんが、たまに思い出すことなので書き残しておきます。 世界中のどこでも道路には信号があって、歩行者も自動車も信号を守るように教育されています。赤はわたってはいけない。青で進め。 なぜそれを守るかといえば、ルールを決めておけば円滑な交通が実現でき、事故も防げるわけです。でもそれはみながルールを守るという前提なわけで。 残念ながら交通事故というのは、歩行者しかり自動車しかり、意図的かどうかはともかく、ルールが破られたときに起こるものです。自分が歩行者だったとして、青で横断歩道をわたったとしても、無視してつっこんできた車が来たら死ぬわけです。逆に車でも、青で走っているのに突然歩行者が横断してきたらひき殺してしまうわけです。そうすると、なんのためにルールがあるのか?ってことになってしまう。ルールがルールとして存在するのに、それを無視するやつは必ずいるわけで、でもそういうやつらのために死んだり、殺しちゃったりする人が生まれる。 悲劇を防ぐためにペナルティがあるわけですが、そういうペナルティがあると知って注意するような人はペナルティがなくても注意する人です。そうじゃない人は死刑がペナルティでもやっぱりルールを破る。で、そういう人が車を運転していて誰かが死んでしまったら、その人はもう帰ってこないわけですよ。車を運転したやつを死刑にしても引き換えに帰ってくるわけじゃない。もちろんそういう人は二度と車を運転すんなとは思いますが。 どうせあってもなくても同じなら、信号なんてなくてもいいじゃないかと思います。実際北京とかNYなんかだと赤信号でも歩行者はいけると思えばいくし、車もぐいぐいつっこんできます。お互いに警戒しつつ進むってことをやってるわけです。 はっきりいって、それが本来のあり方だと思うんですよね。車にぶつかれば死ぬわけだから、道路を渡るのはもっとギリギリの行為になってもいいはず。でも日本ではそうなってない。な

映画の感想など

最近観た映画の感想など ■ブラックホークダウン 「No man leave behind」の掟。 仲間がいるから戦う。 戦争の是非、アメリカの責任を問う映画ではない。  あくまで司令部の指示に従う。  戦場に赴くのに高尚な信念は必要か? ■頭上の敵機 部下思いの上司とは? 何が部隊にとって大事なのか。 そもそも一番優先されるべきことは何か。 部下は上司の心労なんて知らない。 それでも上司は鬼になりきれない。 部隊の責任は誰にあるか。 一番上と一番下以外、組織においては全部中間管理職。 戦争映画というのはいろいろ感じられてよい。お金をもらって仕事をする立場になってますますそう思う。それまではしょせん自主的な活動であり、お遊びだった。お遊びで精神を病むことはない。 ブラックホークダウンについて。 なぜソマリアまでいって戦うのか。それも日に何度も出撃できるのか。一人ひとりの問題として考えると、大義がどうこうとかそういう話ではないだろうと思う。フートが最後に言うように、そこに仲間がいるからというくらいでいいし、それくらいが一番強いのだろう。コントロールできることだけ考える。自分の手の及ばないことをうらんでも仕方ない。目の前に集中する。余計なことを考えてて死んだら悔やんでも悔やみきれない。 頭上の敵機について。結局部隊の最優先事項はなんだろう。一つの部隊は一国のためにあり、一国の勝利のためにはどこかが犠牲になることもやむをえないこともある。一人ひとりを心配して、結局戦争に負けたらダメなんだということ。でも兵士にそんなことわからないし、説得も無駄。 押井守がいっているように、部下は上司の悩みなんて一切気にしないで好き勝手に言う。その溝は絶対埋められない。気持ちが通じ合っても誰かが犠牲になる必要があるときがくる。そのときに誰かを切れなければ、全員が死ぬことになる。軍隊だけじゃなく、会社も同じ。シャープがいい例。 小さい組織でフラットであれば、サヴェージ准将の前任者のやり方でもいけるのかもしれない。でも組織が成長すれば、やる気はあるけど能力が追いつかないやつを切る日がくる。それができるのかという話。facebookでもサヴェリンを切った。組織を伸ばしていきたいなら逃げられない。でも現状維持を望むなら、下からやってくる外敵にやら

マーケティング&経営戦略基礎Day3終了

今週土曜日はDay3でした。ついに半分が終了。クリシンのときよりもケーススタディになれたのか、予習アサインメントも多少効率よく作れるようになった感じがある。 今 回のケースは自動車業界でしたが、自分が中学生のときにおこったコンパクトカー市場での争いが取り上げられていて、懐かしさとともに「こういう狙いだったのか」と思わされました。また、一番の学びとして、マーケティングも経営戦略と同じく、大きなマクロ環境の分析から入るべきということ。分析の流れとして は経営戦略と大きな違いはないことが驚きでしたが、今までマーケティングに抱いていた違和感のようなものが解消された気がします。 自 動車なんかだと、どういう人がお客さんで、どういうのがKBFで、というのがイメージしやすい気がしますが、自社のサービスであるwebサービス・eコマースを考えると、どういうものがKBFになるのか?というのは、自分たちで思っているのとお客さんが考えているのとは違うかもしれないなと思いました。まあ それはwebサービスに限った物ではなく、自社のことはなんだかんだわかったつもりになっているということかもしれないです。  やっぱり普段働いていると、なんだかんだ忙しくて、目の前の仕事をいかに終わらせるかということにだけ集中している。それで結果が出ればうれしいので、ますますそれに集中してしまうけど、そうすると主体的に力をつけていったり、その結果キャリアを構築していったりということがおろそかになるかもしれない。 もちろん大企業にいると力が偏るからといって、ベンチャーにいって雑用をやるのは本末転倒だと思う。 仮にそこで経営スキルや幅広い経験ができたとしても。そもそもビジネスとして結果が出ていないのに、経営スキルとか経験って身に付くのかよ、と思うし。結局大したことできずに終わりました、となって、じゃあ自分に残るのは何?大企業にいれば得られたはずの経験、知識、給料と比べて、誰も知らないベンチャーで働いてたつもりになって得られた物はそれ以上の価値があるか?という話。事業が伸びてないところで得られる経験なんてないと思う。違うというなら、今のSHARPの経営陣はどうなの?一生懸命結果を出そうとしてやっているけど結果が出ていない。その過程で得た経験に何か価値はあるか?という。まあSHARPの場合、経営判断が全てで