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8月, 2009の投稿を表示しています

全日本大会が終わりました。

全日本大会はベスト8で敗退した。そう簡単に勝てるわけではないのが全国であり、トーナメントの怖さでもあるのだが、こういう試合で勝たなければ日本一はないということを改めて感じさせられた。頭ではわかっていても、「勝たなければならない」という心情を経験しなければ次につながらない。前回は経験を活かすことなく50年の月日が流れたが、今回はすぐ後に経験を活かせるようにしなければならない。 中央大学の池田監督と話す機会があったが、やはり優勝を明確な目標に定めているチームは考え方がトーナメント仕様になっている。どんな状況でも一点を取りに行け、いつもベストコンディションで戦えると思うな、追い込まれても力を出せるように追い込む等々…。中央大学のHPを見ても、写真館にある合宿や遠征の数(とその日数の多さ)に驚かされる。それだけやって日本一になれると彼らは信じているのだろう。 翻って慶應はどうだろうか。ベスト8まで来れることはわかった。しかしここから上に行くには岡山大学、中央大学、専修大学を倒さなければならない。彼らを一発で倒すためには何をしていかなければならないか?投手が予想と違って内角を突き、審判もいいところでストライクを取るようなときに、どうすればいつもの力を発揮できるか?これはメンタル面のトレーニングではないと思う。メンタルトレーニングとかそういう問題ではなく、そのような状態を練習で再現せよ、ということだ。投手が予想と違って焦る、バントが転がらなくて焦る、なかなか得点できずに焦る、こうした状況を再現し、打開する練習が必要だ。 負けたのは悔しいが、目標がなくならなかっただけましだと言える。仮に目標が達成されたとしても、それで日本一になったわけじゃない。本当の日本一は、日本一になり続けようとすることだと思う。日本一になれると信じ、そのための努力を惜しまず、まっすぐ進むことだと。それは女子マネージャーも例外ではない。 まだまだ慶應は全国ではお客様にすぎない。ここの常連になるためにはまだ上に行かなくては。負けて飲み会が開かれているようでは、今後50年間中央大学には勝てないだろう。

エビナ電化工業

昨日のカンブリア宮殿に登場したエビナ電化工業の海老名信緒さん。慶應の理工学部の院を出て親の会社を継ぎ、めっきという地味な作業を超ハイテク技術で変えてしまった人らしい。高度なめっきしか引き受けないことで今の地位を築き上げてきたという…もちろんそれを支えたのは高度な技術があったからこそ。 この人がめっき会社の社長だということを知らなかったら、マッキンゼーやBCGのパートナーが話をしているのかと思うくらい、論理的で先を見据えた話をされていた。めっきが自動車産業で完結している中、アメリカで起こりつつあるパソコン需要にいち早く取り組んで世界を制した人だからこそ、このような話ができるのだろう。世界を見れたということ、そのような立場にいたということ、やはりナンバーワンになるためには、この2つを経験しないことには始まらない。次の市場を捉えるためには外の世界で何が起こっているのか知らねばならないし、そのような危機感や感受性を養うためには大きな責任が伴う立場についていないと駄目。しょせんヒラではヒラ並みの危機感しか持ちようがないというのは、自分の経験上よくわかっている。 女性をメインで採用する理由も非常に面白かった。理系男子で優秀な人は皆大企業に行ってしまう。しかし女性は優秀な人が大企業に落とされるので、エビナ電化を受けてくれるのだという。だから受ける人を男女別に見ると、圧倒的に女性の方が優秀なんだとか。そんな優秀な女性が結婚で退職しないように、結婚したら相手の男性よりも給料を上げて、「どちらが働くべきかはっきりさせる」のだという。こんなに明快な答えを出してくる海老名さんはすごい。案としては出せるのかもしれないけど、実行してるのはここくらいか?組織はトップで決まると改めて思い知らされた。 そして明日から全日本大会へ出場するため佐賀に行ってきます。いつまでいられるかわからないけど、3日で帰ることのないようにしたい。

必死

全日本大会まで一週間を切った。小学生のときにスラムダンクを読んで以来夢見た(というほど真剣にではないけど)全国へ、ついに出場する。残念ながら自分は戦力外だけど、昨年、一昨年と費やした日々は今回に実を結んだのだと思うようにしている。 前向きに考えられていると思うし、今更後悔もくそもないのでマイナス感情は口にはしないけど、やはりそこは人間なのだと感じることが多い。感じるものは感じる。コントロールできているからいいけど。 「一回戦で負けろ」とは決して思わない。それでは自分を含めサポートしてきた人間たちの苦労が水の泡だから。絶対に優勝してほしい。「してほしい」ではなく、「しろ」という感じ。自分達は日本一のサポートをしてきた自負がある。だから出場する選手はそれに応えてほしい。という願い。 まあしかし、仮に全国優勝を遂げたとしても、よかったねでは終われないのだろうな。どこでも控えはそうだと思うけど。それは自分が出れなかったという問題ではなくて(自分の場合は。その通りの人もいるだろうけど。)、周りが見えてない奴らが見えてないまま終わるのが嫌だということ。自分が変えたいと思ったことが残ってしまうのが心残り。自分の腹のくくり方が足りなかったのだろうか?自分が選択した立場でできることはやりきったという自信はある。しかし結果的に見れば、その立場でできることは限られていたということだろう。 これも経験か。次はやはり死ぬ思いでやらなければダメということですか。絶対に死ぬ、必ず死ぬという思いで。

カンブリア

今日のカンブリア宮殿は長谷川久夫さんという方がゲストだった。茨城県にある野菜直売所?の「みずほ村市場」社長だそうで。元々長谷川さんも農家だったらしく、農家出身者が農業経営の新しい形を生み出しているというわけ。今日の話は「継続は力ではない。力は進化だ。ただ継続していたってダメだ。」「品質で勝負するんだ。今までの野菜は結局品質で勝負してこなかった。」「農業生産者だったからダメだった。農業経営者にならなければならない。」というように、農業という産業そのものを問い直すセッションだったため、村上龍さんも興奮していた。「今、顧客ニーズは何かと言っている企業は全部ダメ。」みたいに、思い切りぶちあげていたのが印象的だった。 なぜ長谷川さんはこれができたのだろう。やはり自分が農家をやっていて、今の農業はおかしいと思ったのが原因ではないだろうか。自分の身に起きた強烈な体験からしか感じられないことって絶対にある。長谷川さんは農家だったからこそ、農業のおかしさを感じ、あるべき姿を真剣に考え、実行に移せたのだと思う。もちろん行動できたのは長谷川さんの特質であり、彼をオンリーワンにしている要素ではあるのだけれど。 ほとんど執着と言ってもいいくらいその事業について考えられなければ、そこに革命を起こすことはできないのだと思う。しかもただの革命では流血の惨事になってしまう。長谷川さんが強調していたのは「信頼関係」ということ。ここならおいしいものが買える、高いけど品質は裏切らないという客との信頼。ここなら儲けられる、でも手は抜けないという農家との信頼。そこに関わる全ての人を巻き込み、全ての人を「あるべき姿」に連れて行こうとする試みは、勝ち逃げできればよいという心理では絶対に通用しない。見抜かれてしまうからだ。そこまでできるのは、長谷川さんにとって農業が人生を賭ける価値のあるものだからだろう。でも本人はそんなことすら意識していないのだろうな。やるのが当然と思っているはず。 OKの社長もそうだし、今回の長谷川さんもそう。そしていつか出ていた理化学研究所の社長もそうだが、「こうあるべきだ」という強い理想を持つ人というのは、あまり我が強くないし、決して出たがりではない。自分の偉さを誇示せず、重要な役職も人に任せていたりする(メガネの21の創業者もそうだった。社長は持ち回りらしい!!)。俺が俺が!というトップだ

メンター

ジョン・M・ハンツマン著『「賢いバカ正直」になりなさい』を読了。英治出版フェアで購入したものの残りで、特に期待せずに読み進めていたのだが、意外と心に残る言葉があって驚き。今の自分にとって必要な言葉が載っている本に、丁度良い時期にめぐり合うというのはまさにユング心理学でいうシンクロニシティなのかもしれない。 結局のところ僕は何が学びたいのだろう。何がと問うこと自体が間違っているのかも知れない。きっと本質的には世の中の全てを知りたいのだと思う。知識だけでなく、方法論までも含めた全てのことを。しかし現実的に全ての知識を個人に集めることは不可能だから、何とか現在興味のあるところから進めているという感じか。で、今興味のあることとは?マネジメントなのか?コーチングなのか?学生コーチでもなく、現在は主務ですらない立場の自分が? 今の自分はどんな存在でもない。役職はない。かといってただのヒラなわけでもない。「前任者」としてのヒラなのかもしれない。だから今の自分は最前線で働くというより、一歩引いた立場にいるメンター的な役割なのかもしれない。で、自分にメンターになれるほど経験があるわけでもなく(しょせん2年程度の経験だから)、とにかく知識を欲しているのかもしれない。確信が持ちたくて。 そんな確信が得られるはずもない。僕には最前線の経験がまだまだ足りない。でも今、強制的にメンターを演じるのも得がたい経験なのかもしれない。人に惜しみなく与えよ。全てを与えよ。出し切って何も残らなかったとしても、それを恐れてはいけないのだろう。ゼロからもう一度走り出せるようでなければ、きっと何もできやしない。 学生でいられるのはあと5ヶ月。野球部員でいられるのはあと3ヶ月。見返りを求めないようにしよう。このくらいの期間で音を上げているようでは、道なき道を切り拓くことはできない。

雑記

内定先の社長の著作を読了。サイバーエージェントの説明会時にもらった藤田晋さんのものは物語だったけど、これは物語ではなかった。しかし藤田さんと比べ、とんでもなく意志が強くて頭がいいんだなということが伝わってきた。藤田さんが意志が弱くて頭が悪いということではなくて、サイバー本の場合、人間・藤田晋の赤裸々な半生だったり、自分の夢やその挫折、苦悩の方にスポットライトが当たっていたせいでそれが見えにくかったということ。そういうものをそぎ落とした形の本を出しているというところに、2人の個性の違いが出ているのだなと思った。 藤田さんも若いし格好いいし(説明会&GDの日に生で拝見)、社員も若くて明るくて入りたいと思ったけど、いかんせんその時はまだ就職活動ってもんがよくわかってなかったからな~。あのゲームのルールに本当に気づいたのは4月になって高橋俊介先生の授業を聞き始めてからだから、まあ間に合わなかったともいえるんだけど。 話は変わって、こういう「創始者」の著作を読むのは面白い。リーダーとしてどうあるべきかをその人なりに解釈しているし、起業から発展までの経緯が追体験できる(こともある)し、ビジネス哲学が学べる(こともある)。ようするに、「個」から「組織」になるにはどんなものが必要なのか・どんなものを大切にしている人がそれに成功するのか、ということがわかるということで、面白いと思う。 『なぜあなたがリーダーなのか?』にも書いてあったことだけど、やはりリーダーは自分の個性を知り、それに基づいて行動しなければならない。自分以外の誰かになろうとしてはならないということは真理らしい。他の誰でもない自分とはどのような人物かということを知り、その人物は何を欲しており、何を目指せと言っているのかを知ることが、リーダーの第一歩ということだ。藤田さんも内定先の社長にしろ、自分の理想を持っており、それが揺らいだことはない。その理想が他人から見てどうかということは問題ではないのだ。それはいずれ市場が判断することだから(修正は必要だけど)。 自分の経験できることには限界があるから、本の力を借りて疑似体験をするのは意味がある。しかし企業本はどうしても企業のことしか書いていない(当たり前だが)。僕は今、部活についての知見が欲しい。それもホッケー部や競争部のように「男子部・女子部」が分かれているものではなく、野球

右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ

自分の持てるものを全て人に与えてしまったらどうなるのだろう。実際に「全て」はありえないと思うけど、知識やスキルなど言語化できるもの全てを与えてしまい、個性としての知識・スキルが残らなかったら?自分には何があるのだろう。 それが「技」なのかもしれない。今の自分に「技」はあるだろうか。 それがわからないから、左の頬を素直に差し出せないのかもしれない。 ちなみにこの格言は色々解釈があるらしく、単純な無抵抗主義ではないらしい。そもそも右利きの人間が多いなかでなぜ最初に打たれるのが右頬なのか?というところから始まり、実は右の手の甲で殴られているのでは、という解釈もあるとか。手の甲で殴るというのは古代のユダヤでは相手を自分より下に見る侮辱行為であるという。しかしそこで左の頬を差し出せば、次は返す刀で右の手のひらで打つしかなくなる。これは相手を対等に見ることを意味し、最初の侮辱を取り下げる意味を持つというのだ…実に深い。。 非暴力でありながら単に打たれっぱなしではない、より強硬な抵抗の意志を示せということか。