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7月, 2016の投稿を表示しています

GMS アカウンティング基礎を始めました。

7月期のアカウンティング基礎を受講しています。10月から異動をするのと、来年頭にプライベートで激変があるので、今年行くとしたら7-9の期しかないことが判明して。最後に行ったのが2013年の人材マネジメント基礎?だったので、実に3年ぶりです。久しぶりに予習アサインメントとかやったらすごく時間かかりましたけど、懐かしかったです。 クラスにはさすがに経理や財務などのポジションの人や、経営企画など数字を見る方が多かったです。年齢は35歳~39歳くらいが多い印象。でもディスカッションでは結構大局的な発言ができたかな。この3年で自分も異動し、視座が高い仕事をするようになったからかもしれない。ラッキーヒットというか怪我の功名的なところもあるけど。 あんまりにも上に頼れねえ!という状況なので、自分がやるしかないという感じだからこそなのかも。異動も決まったし、もう言いたいことは全部言ってやれ!と思えるようになったのもよかったっぽい。やっぱり、「いつでも違う舞台に行ける」と思っていられるのはデカい。常にその逃げ道を確保しておく(言い方はよくないが)のは精神衛生上、また前向きな仕事をやる上でも大事。ここにいるしかないと思うと、遠慮が生まれてしまうし。そうならないために常に別のフィールドにも目を向けてないといけない。逆説的だけど、今の仕事に全力で打ち込むためにも、次の仕事に気を配っておくという。 とりあえずあと5回で会計知識はちゃんとつけよう。そして2017年にファイナンス基礎とファシリテーション・ネゴシエーションも取りたい。リーダーになりたいですからね。 P/L責任を持つ仕事がしたいなーと思っているけど、最近、将来的にCTO的ポジションを目指すのもいいなと思ってきた。自分の性質・性格的に。ITを考えるのは組織構造を考えることだから、という。外資のオファーも多いし。 あの企業も、職場が関西じゃなければ面接行きたかったんだけどなー。

いつまでも挑んでくると思うな

リーダーの素質を十分満たすからリーダーになるのか、リーダーをやらせたからリーダーに育つのか。 個人のリーダーシップの資質に違いはあれど、自分は後者の方が強いと思う。リーダーをやってみなけりゃリーダーにはなれない。そして、効率的な組織運営をめざして各人にリーダーシップや自主性を持たせたいのならそこにいるあんたがどいて、「とてもできそうにない」というやつらをリーダーというポジションに立たせるしかない。能力を満たしてから、という風に考えると、ポジションが政争の具になる。それに、結局そんなやつなんて現れないのだ。だってリーダーというポジションについてないのだからリーダーポジションについても申し分ない働きなんて「目に見える形では」できているわけないのだ。 ほんと終わっているなと思うのは、中核人材(A氏と呼ぶ)の突然の退職(といっても本人から告知されて退職日まで3ヶ月以上余裕があった)を知ってから1ヶ月以上、マネージャー陣が何もしなかったことだ。この1ヶ月、翻意することでも祈っていたのだろうか? あと2ヶ月しかない、いよいよ尻に火が付いたというときになってようやくチーム編成を変え、ポジションをあけた。そしてA氏に引継ぎと称した説明会をたくさんやらせている。 でもこれじゃあ辞めた後大混乱だろうなと思うのは、結局、別のA氏をつくることで乗り切ろうとしているだけだから。体系だった育成プログラムはない(まあ若い会社にそんなものはないが)ので、すぐにA氏の代わりができるわけではないのと、結局スーパーマンをつくることで作業を回そうとしているから。人依存から抜けていないし、抜ける意思もないようだ。 他の会社はどうだか知らないが、今の会社は正直定着率は高くない。3年いるかどうか、という職場。そこで、長期的にいることが前提の制度設計を放置しているのは、今後も引継ぎに伴う大混乱を招き続けるだろう。なんで長期的に人が居つかないのか、というのは、もう少し考えたほうがよさそうだが。まあ、結局いるメリットがあまりないということなんだろう。来年もまた同じことをするのか、と感じてしまうのは正直萎える。スピード感のある仕事もないではないが、こちらがどうにもできないことで時間を食われ、それが来年も確実にやってくると思うと立ち上がる気力がなくなる。年に1回必ず台風が来ることがわかっているのに、庭の植木

子供のお使い

最近突発的に忙しいが、忙しいからと言って自分の仕事が子供のお使いみたいになっている部分があり、非常によくないと感じている。やってしまった瞬間は一応最善策と思ってやっているのだが、それがよくないんだよなあ。一度立ち止まって、なんでそうなったか、それは本当か、他に方法はないのか、というのを考えるべきなのだが。 もちろん相手に完全な情報があるわけではないし、それ以上は言えないと言われたらこっちもそういうものとして動くしかないわけなのだが。そこでおおもとの情報源にあたることができれば、もう少し大人な仕事になるんではないかと思うのだが。。。それが許されないくらいスピードが求められる場合もあるんだよな。 ここまで考えて、人から思考力を奪うには情報を与えず期限を厳しくすればいいんではないかと思ってきた。とにかく「何も考えずに走れ!」ということだ。これって危険だよな。こういうのにアドレナリンが出て仕事した気になってしまうと、走り回って汗かいて達成感を得ることが仕事だと勘違いしてしまう。計画が立たないので下が辞める。(日雇い仕事だとか言われる) これをリーダーレベルでもやってたらいかんな。本当にいかんわ。リーダー、マネージャーが何をマネージしているのかってことよね。彼らも手を動かして伝言ゲームに参加するだけだったら、その役職いらない。防波堤になれないのなら。 彼らミドルクラスにちゃんと権限があるのか?という問題もあるのだろうが。でも、もしないならないのにミドルで意思決定しようとすんなよ!どうせ否決されるんだからさあ!と思ってしまう。

尽くされる人

違う部署だが、ものすごいリーダーがいる。若いが猛烈な頭のよさ。頭の回転は超高速。それだけでなく説得もうまい。人を動かすのが非常にうまい。 でも人に関心がないらしい。替えがきくと思われているのが伝わるのだと。詰めるときは猛烈に詰める。それで心が病む人もいる。 そんなだからか、いる人も期間限定と割り切って勤めているとか。頭はよいし仕事はできるので、得るものはある。でもずっとはいられない。この人のためなら!と思う相手ではない。 こういう風になってしまうと組織はどうなるんだろう。ピンチのときに誰もいなくなってしまうんではなかろうか。「僕は私はしょせん歯車」と思われるといかんよな。 嘘でも大事に思っていると感じてもらわないと。どうせだますならきれいに騙せということで。皆がインターネットで情報をたくさん仕入れている世の中で、やりにくいとは思うけどだからこそ上司力の見せどころなんだろう。自分についてきてくれる部下をどれだけつくれるか? しかし組織人として、別に上司に人格者であることを望むのはおかしいよな。だったら嬉しいけど、そうでなくてもプロとして結果は出さないといかん。もしどうしてもだめなら辞めて次にいく。それがお互いのためだろう。それで上司が苦しくなったとしても、それは上司自身の招いたこと、身から出たさびってことだ。

リーダーの仕事

リーダーの仕事は決断だと言われる。作業者である下々より高い給料をもらうのは決断をするからだと。しかし、リーダーの決断って何に基づくんだろう。ことweb・ITの世界だと、陳腐な言い方だが過去こうだったからみたいなのに基づく判断では、デカいことはできないと薄々誰もが気づき始めている。 養老孟司は『人間科学』で、ビジネスはアートに近づくみたいなことを予言していた。スティーブジョブズは本物のアーティストは出荷すると言った。インターネットは水や電気と同じインフラになったが、その上で動くサービスはなくてもいいものたちだ。人々に何かが欠乏しているわけではない。満たされた生活で何かを売り込むわけだから、どうやって必要とされるかだけが問題だ。 リーダーはアーティストでなくてはならない。物を作れなくても、理由づけ・意味づけの一流でないといけない。世の中に理由は落ちていないんだから、理由を0からつくれる詐欺師になれないといけないのだ。

不毛

な作業だった。。。こちらに権限のないことで定時後に2時間も頭を悩ませて何の意味があるのだろう。上役の人間に報告するといっても無い袖は振れない。結局何をしたいのかが全然見えない。悩む意味があるのか?悩んでいるふりをすることが目的なのか?と思ってしまった。 そして自分では何をすべきか決して言わない。行動を提案するという意識がまったくないみたいだ。あーだこーだと文句はいうものの、じゃあどうしようかというのは一つもなかった。上役の心理を代弁しているような顔をしているものの、そんなことをしたって意味はないのだ。結局あなたが決めるわけではないのだから。 全然いい仕事をしていない。これはまずい。 でも言っても通じない。早く出なきゃ。