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4月, 2018の投稿を表示しています

インパクトのある仕事をしろということ

いま職場で求められることって、意訳するとマイクロソフトの牛尾さんがブログに書いてるようなことなのかなーと思ってきた。 http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2017/06/19/080036 顧客の真の課題をコードで解決してこいというのがマイクロソフトで求められることらしい。うちはそうはなってないが、今後やらなければならないことというのがなく、真の課題を設定しないといかんねという状況なので、まあこういうことに近いのかなと。過去のロードマップとか計画も見直さないといけないっぽいし、まさしくリーダー、経営者として硬直した現状を打破しないといかん、のだが。 マイクロソフトと違うのはお前らの仕事はそういうことだぞ、と言語化してないこと、過去のロードマップを否定するのは事実上タブーになっていること(対抗勢力がいすぎ!)、あとは…なんだろうなー。よくよく掘ってみれば一瞬なのかもしれないけど、昔話をする人が多すぎるのは違うかなー。なんでそんなに過去を否定するのを怖がるんだろ。朝令暮改かかってこいや!でいいのに。 プライド高い、見栄っ張りってことなのかね。茶坊主だらけだわ。

説得なんてできないのか

会社の飲み会があって、例に漏れず お前は何をしたいの? と言われた。回答に困ってしまった。ここでやってることをあたかも否定したいかのように聞こえそうだから。 プラットフォーム屋としてグーグルなどといちおう戦っているわけだがプラットフォーム、ID基盤で勝負してるわけじゃない会社ののはずなので、ちゃんと我々の寄って立つところ、我々は何屋なのかをはっきりさせませんか?ということを言いたい。でもその端緒としてソーシャルログインってどうでしょう?とベテランに聞いたら、お前それこれまでのことを全否定することになるけどそれだけの覚悟はあるのかと言われる。。別に否定とか誰が悪いとか言いたいわけじゃないんだけどなあ。もともとの目的に届かないからやり方を変えてみませんか?できるかどうか考えてみませんかというだけなのに。その試みすら覚悟を求めるっておかしくないか。当初の計画がアンタッチャブルになると軌道修正ができない。大失敗するまで止められない。こういうのを切り抜ける力が欲しいが… でも不可能なのかもしれないなー。世の中で地動説が主流になったのは天動説派を説得したわけじゃなく、天動説派が死んでいなくなったからだと聞いた。(若い人はもう地動説が正しいと感じてたらしい)   そういうもんなのかな。JALなんかみてると会社が潰れたのに闘争しかけてる元社員とかいるし。

脱力感…とその原因の考察

こっそり受けていた某スポーツビジネス企業に最終で落ちてしまった…これでスポーツ系企業に最終で落ちるのは2回目という、なんともレアな体験をしてる。某グローバル企業は英語力の不足、今回は現職の就業期間の短さ(がライバル候補と比べ)ネックになったとのこと。一応これまでのキャリアとかスキルは評価してもらったようだが、難しいなー。欲しいものが欲しいときに手に入らない。。 一応キャリアは間違ってなかったという自信にはなるものの、とはいえこれからどうしようという気持ちになる。現職でなんとか評価されるようにやらないといかんか…スペインサッカーにおける日本人選手みたいに、なんとか現状打破をしていかないといけない。彼らはスペイン内で逃げ場はないからな。 とはいえほんとどうしよう。いちおうパラレルで動いてる手札はあるものの当然楽なカードではない。それはやりつつ、現職での打破の仕方をしっかり練らないとダメだなー。 この部で、ということではなく。会社として、だな。変にキャップをはめないで考えてみよう。

雑記

現場が意志をもってものごとを考え取り組むのは当然必要だしできればいいと思うが、理想論にもなりやすい。釣り方を教えただせじゃなす釣れるための環境づくりを、ということなら、その環境づくりがまだまだ不足してるのかなー。 現場主義ではなくあくまでボトムアップなので(現場に裁量はない)、ミドルへの説得が必要。でもミドルが壁にしかなってないのはなー。 ミドル、トップになるにつれ脱色されちゃうというか、無色透明になるのはなんでだろう。結局現場の素人主導が一番ってことなのか。経験をつんだベテランはどこにいった?

お前はどうしたい、の意味

現職の代名詞とも言われるこのセリフ、入ったばかりの頃は指導育成の放棄でしかないと思ってたが、ものすごーく好意的に受け止めると、超長期的な育成効果を狙ったものなのかなーと今では思う。とはいえ時間軸が長すぎるので、やはり昔のやり方かなーとは思うけど。 この お前はどうしたい、どう思う、って、言われるシチュエーションでは聞いてる方にアイデアがないことがおおいわけだが(だから聞いてるわけだし)、それでも自分なりの仮説を持て、そうじゃないと上の人間の意見を集約するだけになってしまうぞ、自分の仮説を立ててぶつけて思考力を磨く機会もなくなるぞ、って言われればまあなんとなくわかる。てかここまで言われればそれはコンサルみたいなものだな、と思えるが、ただお前はどう思う?て馬鹿の一つ覚えみたいに言われると、この人考えてるのかな?と逆に思う。こういう説明を一切しないでもよかったくらい同質的な組織だったってことなのかなー。 いまではやはりこのへんがうまくいってないみたいだが。言語化すればいいのに!そしてこれを悪用する上司も多いからタチ悪い。 コンサルの場合、仮説の元となるのはファクトなんだろうが、ここはパッションが多い。でも、なんかそのパッションが胡散臭いんだよなー。なんでかはわからない。自分しかそう思ってる奴はいないかも。 まあコンサルの場合、暗闇で動けないとか言われるらしいしパッションが足りない、ここはパッションしかない(ファクト的にはもうどん詰まりなのに爆死するまで手が打てない)みたいに、やっぱ完璧な組織はないんだなーと。

海外にいくと日本の良さがわかるというけど

よく商社とか海外留学経験者の方が、世界に出たことで日本の良さがわかったみたいなことを言う。時間に正確なサービスとか細やかさとかなんとか。実際それでGDP世界二位まで行ったわけだし、トヨタみたいな会社も出て、良さではあるんだと思う。 でもそれって世界もマネすべきことなのかな?と思ったりする。 前職でインド人や中国人、スウェーデン人などと働いてみて、世界は色々な考え方があって、それぞれの方法で結果を出すことはできるんだなと実感したから。インドの人は進捗確認するとOh, yes.yes.とかいうけど全然終わってない、みたいなことが割とあったが、それでもインドにはタタという会社があるし、ジャガーは今やインド傘下だし、工学系のレベルはすさまじいことになってる。OKと言って全然やってないみたいな文化でも結果は出せるのだ、というのを体験すると、日本流は良さの1つではあるけどそれが全てではないよなとおもう。そんなかんじでゆるーい管理でも世界レベルの成果が出せるなら、日本流のギチギチよりいいじゃないかとすら思う。 日本人が日本流を良いと思うのは得てしてシンパシーというか、馴染みがあるからだろうしな。 デービッドアトキンソンさんなんかはそういう文化絶対主義みたいなものの見方に警鐘を鳴らしてるけど、ハーバードとか出てもこの罠にはまりやすいのかなー。留学して急にジャパン!とかいうのはホームシックみたいなものだと思う。 トイレはきれいなほうがいいが。

有楽町って地下に飲食店がたくさん

有楽町付近で働いてるといわゆる丸の内エリートみたいな人も見かけるが、服装が違うなー。高そう。靴とかとくに。シャツもピタッとしてるし、女性もなんかお金かけてみぎれいにしてる。エンジニアの女性つまて金かけてないんだなーと思わせる。努力しないと見た目は向上しないんだね。 しかし一年働いてみて思ったが、どんなビルで働いててもあまり幸せには関係ないなと。周りの環境もそう。臭かったりうるさかったり駅から異常に遠かったりという最低限のラインをクリアしていれば、環境は環境でしかない。当たり前だけど実感した。丸ビルはオシャレだが丸ビルで働ければ全てを我慢できるわけではない。 丸の内はランチも高いが。 有楽町だとビルの地下に結構飲食店が多く、ここら辺まで出張って来ればよかったなーと最近思う。八重洲地下街で妥協しなければよかった。 野球のシーズンが始まったけどテレビで全然やってない。もう野球はテレビで見るものではなくなったのだろうか??野球に限らずスポーツでテレビ中継必ずあるのって相撲くらいか?かわったなー。野球もライブイベントみたいになっていくのだろう。 某世界的なテクノロジ企業に書類が通って面接に進めるようだが、仮に入れたとして、自分はどういう夢を追って仕事をするのだろう?憧れだけで入るべきではない。通用しない。何かあるかな?

興味のないものに仮説を持つこと

PEファンドやコンサルの人とか、プロ経営者として送り込まれた人なんかは得意としてることだろうが、自分が大して興味のないことに対して徹底的に調べて課題を突き止め、解決していくっていうのが大事なんだけどなんて難しいのか!と思っている。昔スシローにいた元マッキンゼーの方はスシロー入社にあたって角刈りにして深夜まで板前さんと一緒に魚を捌いたというし、そういう取り組み方がプロとして異業種に入り込むやり方なんだろうと思う。意外と本とかに書いてないけど、知識とかより先にこの取り組み方があってこそ、という感じがする。できる人はふつーにできるが、できない人は全くできないという類のスキルだな。で、自分はできない方。なんでそのまでしなきゃあかんねん、と思っちゃった。まあ、まだまだアマチュア、甘ちゃんだっただけかもしれないが。 まさに暗黙知という感じ。 現職に多いクソ野郎的な人たちも、コミュニケーション力に難があるかわりにこうしたスキルがあるケースが多いきがする、トレードオフなのか?前職だとコミュニケーション力は高いがこうしたスキルが飛び抜けた人はあまり見かけなかった。必要とされなかったのかもしれないが。 仕事のやり方ってほんと文脈に依存するなー。多様な環境を知らないと引き出しは絶対に増えない。異動じゃダメで、転職じゃないとダメなんだろう。 しかし異業種にばんばん飛び込んでいく人って、何にドライブされてるのかよくわからん気はする。ただただ挑戦したいだけ?達成欲?戦ってないと気が済まないタイプなのかなーという気はする。

アジャストの大切さ

上司とのミーティングでボロクソに言われることがだいぶ減ってきた。アジャストできてきたということか。問題解決のスキルを高めなかったら今頃本当に鬱になってただろうことを考えるとよく生き延びられたなー。 今日のミーティングだと部署的に手詰まり感があるというのは上司との共有できたのではないかと思う。あんまり深刻な感じはしなかったが(前向きなのか、深く受け止めていないのかはわからない)一応方向性は合ってるのは進歩だ。 アジャストの大切さ、大変さ…保守的なタイプだけに自分は難しい。でも飛び込んでるからこその苦しみなんだろうが、大谷翔平並みに軽々とアジャストしたいところ。

雑記

イブラヒモビッチのドキュメンタリーを見たが、ああいう性格激悪、でも結果出すみたいはメンタリティ(実力あるからああなんだろうが)って生きる上で必要だなーとつくづく思う。現職に入って適応しやすい人も、正直クソ野郎的な要素を持ってる。初対面かつ他部所で年上にナチュラルにタメ語って自分としてはありえないと思うのだが。ただ失礼なだけなのか、鬼メンタルなのか判別はつかないが。自分は顔色を読んでしまうタイプなので、ああいうマネはできない。でも会話の空気はあまり読まなかったりするが。 ああ了解了解、って年上には使わねーわ。なんであんなことができるんだろ?

四月になりました。社会人9年目。

あっという間に社会人9年目、30代の2年目がスタートする。はあちゅうさん(実は中高の先輩)がツイッターで曰く「何もしないと5年後も同じことをしてる可能性が高いのだから、今から楽しいと思えることをするか、日々を楽しく感じられる工夫をしないと何も変わらない」みたいなことを言っていた。30代ってまさにそんな感じで飛んでいってしまうのだろうな。そんな感じで子育てに追われて吹き飛んでしまったであろう人もいるし。(子育てはそのくらいエネルギーのかかるものだろうから悪いとは言ってない) ただ年は取るので、子育てしてるというのが免罪符になるわけでもなく、何もしてないと年だけとった自分が残るだけ、ということになってしまいそう。 グロービスのGMSでやってたマーケティングの授業が終わった。結局ほぼ振替先のクラスを取ってたが、非常に面白かった。佐藤義典先生という方だったが、独自のフレームワークと現場主義な頭の使い方を求められ、かなり頑張れた。マーケティング基礎を受けてからなんとなーく苦手意識があったが、マーケティングって楽しいな、こういう頭の使い方をしていきたいなと強く感じた。システム企画もようするに企画なので、マーケティング脳が必須だ。それが足りなかったからここまで苦労したのかもしれない。 さて現職では四月から組織変更があり自分の仕事もまた変わりそう…なのだが何をするかまだ上長とすり合わせできてない。というかそもそも決まってない?社員をそこまで必要としてないのではないか…という体制になってきた。 人になれ、仕事になれてきた矢先ではあるが、こういうこともマーケティングの上が転職時にあれば予見できていたのかな?と思う。足りないものばかりだが、経験からしか体得できないのであれば、まあよしか。 しかし誰も夢や希望を語らないのがなー。一応IT業界なのに。