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7月, 2009の投稿を表示しています

夏が始まりました。

夏休みの練習が始まった。内定先からバイトの連絡も回ってきて(競合相手のデータ分析らしい)、やってみたい気もするのだが、最後の夏休みの練習ということで、ここで得るものの方が多いとの判断から今回もスルーすることにした。引退してからバイトの案内があればやろうかなとおもう。 この夏は内野手としての技術を上げることはもちろん、まだあまり話していない1年生とコミュニケーションをとることを目標にしたいと思っている。自分の知識を伝えたいなんて思い上がれるほど何かを持っているわけではないので、先輩として置いていけるものを置いていけるようにしたい。 後はOBとの関係を改善したい。関係改善というより、有るべき姿にするだけなのだが…。これは本当に重要な問題。塾高硬式野球部でも問題になったらしいが、OBが自分の満足・誇示のためにレギュラー選手にだけ食事に連れて行くなどをする行為を何とかしなければならない。選手をねぎらっているようにみえてその実自分がレギュラー選手より上だということを見せ付けたいだけという行為は根絶しなければならない。現役選手はOBのためにいるわけではないし、特定選手だけ優遇するのは部にとって百害あって一利なし。試合に出ていない選手に価値がないというわけではない。それがわからないOBはOBを名乗らないで欲しいし、そんなOB会からは支援を受けたくない。 毎度毎度思い出してしまうが、僕も実際に経験したことだからこれだけは譲れない。この部はだれのものか?何が目的なのか?それがわからない・考えたことのない人間は首を洗って出直すべきだ。70年生きていたって人間ができるわけではない。20年生きて完成していない人間は、あとの50年間は惰性だ。日本経済が右肩上がりで何も考えず、何にも疑問を抱かずとも誰もが食っていけた時代は終わった。もうそんな人間はお呼びではない。早く死に絶えて欲しい。

レポート

研究会の期末レポートを書いているんですが、書けば書くほど不毛な思いに襲われる… やっぱ自然言語処理だけじゃなくて、マーケティングの勉強も必要なのか… 卒業政策は今のところしないつもりだけど(ていうかできない。このままでは。)、こんなレポート書いているだけで僕は大丈夫なのだろうか。たしかにリサーチ能力は上がったような気がするけど、深く考えられていない気がするし、知識も足りていない。。のか。 研究会の皆はどんな感じでレポート書いているのかな~。そして卒業制作はどんな感じにするのかな~。 三田のゼミがどうなのかは知らないけど、4年生が6人で就職するのは3人、そして6人中男は1人という、特殊な環境だと研究会の学年飲み会なんかも開くのが容易ではないのが悲しい。。いつか開いてやりたい。

平塚

母校が4回戦で惜しくも敗れる。これで彼らも高校生活で大きなウエイトを占めていた部活がなくなり、大学進学に向けて残りわずかな高校生活を謳歌することだろう。自分を振り返ってみると、実はここから先の生活が大学時代に大きな影響を与えていたと思う。ここで先回りして勉強しておけば後で役立つ、というようなせこい話ではなく、ここから何ヶ月かに感じたこと・考えたことが、自分を大学4年間突き動かす原動力になるという意味。僕の場合、引退後しばらくしてから自由研究に没頭し、そのまま卒業してしまったという感じなので、大学で何をやるかなんてことはあまり考えていなかったのだけど。 ただ、この数ヶ月間で「自分で調べて考えるって楽しい」という思いは出てきたので、それができるのはSFCだろうと考えた。しかし実際研究だけだとどのような生活スタイルになるかわからなかったのと、野球をあと少しやりたかった&優勝チームをつくってみたいと感じていた ので体育会に行こうと決断。まあ実際のところはこれだけではない。大学の研究なんて将来にはつながらないだろうから面白そうなことができる学部がいいな、ということでSFC。サークルに入るとストレスがかかりそうだからという理由で体育会。入らないのもそれはそれでストレス。まあ実際はそんなところ。スポーツやってる時はストレス発散になるし。 でも忘れてはいけないのが、高校卒業前になって山本道夫先生と交わした会話。硬式でマネージャーやるか準硬式行くかで迷っていると言い、なぜかと聞かれて言った言葉。「自分のために努力するのはもう満足したので、次は誰かのために力を尽くせる人間になりたいと思いました。」この時は自分でも本当かなと思ったけど、実際やってみて、やはり自分の奥底でこの思いはずっとあったのだと思う。というより、ここで自分が変わらないと、なんだかダメなような気がしていたから。 あれから4年がたって、当時の僕が思っていたような人間になれているかどうか。自分で判断することはできない。周りに判断してもらわないと。

シンクロニシティ

シンクロニシティを読了。長かったけど時間としてはそれほどかけていないかも。著者の半生を記した自叙伝みたいなもの。いわゆるリーダーシップ本ではないけど、こういう本こそしっかり読むべきもののような気がする。 ものすごく簡単に言うと、自分が心の底から望む夢(目標)を見つけ、必要のないものは全て捨て去り、夢に向かって邁進すると、協力してくれる人や幸運な出来事が次々と起こっていく、というもの。因果関係では説明できないけど、そういうことが起こるというのはユングがずっと研究していたらしい。たしかに通常の科学でいえば、どんなに幸運が連続しておきてもそれは偶然でしかない。でもこういうことを研究対象にする心理学者がいたり、こういうことを信じて行動に移している人がいるというのは重要な意味があるように感じる。 自分が心の底から信じるものを見つけ、それに邁進することこそ、人生の意味である。みたいな。 就職活動をする前だったら絶対に受け入れられない考えだけど、今ならこれが真実だろうな、と素直に思える。そして最近社会人になった先輩達とお会いすることが増え、その思いは益々強くなってきている。 つつましく生活できれば十分、ということですら、これからの時代は本気で願わなくては叶わない。本気でそう願う人は他にいくらでもいる。その人たちはつつましく暮らすために余計なもの全てを投げ捨てている。欲もプライドも全て。僕は今のところつつましく暮らすことを心の底から願っているわけではないが、例えば部をもっといい方向に変えたい、自律した部員だけがいる組織にしたいと思うとき、それを実現するために必要なもの以外は全て捨てる覚悟がいるということになる。個人的な欲望も、プライドも。「自分のためになる」「自分も成長できる」という考えすら捨てなくてはならない。 大きなプロセスの一部として自分は存在する。目標に自分は生かされている。部を変えるという天命が自分を突き動かしている。僕という個の意識は消さなくてはならない。といって、部という公のために生きるという聖人君主的・パトリオット的な発想でもない。自分は世界の一部であるということ。部が変革の道を辿る過程に運命的に存在していたということ。自分の力で変えるのではない。そういう役割を持っていたということ。 思い上がりと言われるのかもしれないけど、実際こういう気持ちになることはある。シンク

テスト と それに付随して考えたこと

6限にあった小熊英二「近代史」のテストはまあ大丈夫だと思う。3つの問題から任意の2つを選んで記述するものだが、3つのうち2つが重点的にやっていた箇所だったので助かった。教育と戦後体制だったかな。解答用紙の表裏を使ってしっかり書いてやりました。Bはカタイと思われる…。よかった、あきらめなくて。 もともと歴史が好きだったということもあるけど、歴史というのは理解しやすい科目だと思う。なぜかというと、「なぜこうなったのか?」という問いに対する答えが納得しやすいから。小熊先生は歴史を社会問題の根源を知るために必要だと仰っていたけど、社会問題を考える際、歴史というのは決定的な証拠になる。因果関係が明確。だから納得できるように思われる。「なぜ日本の中等教育はよくわからないことを教えているのか?高校って必要なのか?」という問いに対し、小熊先生なら「初等教育と高等教育との間に置く適切な機関をつくれなかったから、仕方なく大学の予備校的な位置づけで大学を薄めたような教育をしているんだ」と答える。感情的に納得できないかもしれないが(特に美しい答えを求める人なんかは難しいかも)、これが真実だ!という圧倒的なものがある。だから歴史は好き。そこに至るまでの苦悩とかが匂いで伝わってくるような気がするから。 逆に数学なんかはそういう匂いが全然ない気がする。確かに美しいとは思うし、ビシっと答えが出ることもわかる。でも、数学ってのは基本的に「こう決めた!」というルールに基づいて考えるものだから、目の前にある問題と、ルールを用いてだした答えの間に厳密な意味で因果関係はないように思えてしまう。そもそも1mという単位だって恣意的なものだし(フランス革命の一事業としてタレイランという議員が提案している)。まあこれは数学じゃない(理科)けど、定義、定義、定義、定義だらけの数学や理科ってのはどうしても好きになれなかった。それを当然のように受け入れ、教えている教員も理解できなかった。少しは疑えよ!と。 なぜ2次方程式が必要なのか?なぜベクトルが要求されたのか?どこで行列が使用されるのか?その由来とかを知りたかったのだけど、数学の授業って絶対それをやらない。どこに使うかもわからないものを、「必要だから」という理由で教えるのって、左翼的な言い方をすれば権力の暴走だよね。で、なぜこんなわけのわからないことになっているのかと

今日は6限からテスト

高橋俊介の最後の授業で、日本の高学歴フリーターの話題が出たので書き残しておこうと思う。高学歴フリーターが増えているのは3つの要因があるのだとか。 ①企業 企業が年功序列のピラミッド組織・分業体制を維持するためには、内部の評価基準が絶対。外の世界で流通する評価基準(Ph.DとかMBAとか)を評価すると序列が維持できないので、むしろ大学で基礎的な学問とかやってくるな、ということになる。国鉄では麻雀に「国鉄ルール」というのがあって、大学でどんなに強くても絶対に勝てない仕組みになっているそうだ。その理由は「新人は下から入るもの」ということを徹底させるため。 ②大学 大学で教えられる内容が、世の中のどこで役に立つのかわからないようなものだったり、そもそも基礎を軽視していたり、教え方が下手だったりと、大学の教育機関としての役割がなさすぎる。自分の専門を極めるのはいいが、それが世の中の役に立たなければ・食えなければ意味がない。そういう意識が大学になさ過ぎる。 ③学生 特に大学院生は、専門性を極めるというより単なるモラトリアムを求めて進学する場合が多すぎる。学部卒でそのままMBAに進むなんてのはその典型で、そんなのはクソの役にも立たない。大学を出たら(現状では)まず社会に出てしばらくもがき、その後キャリアの方向性や、極めたい力を見定めた後に大学院などのプロフェッショナルスクールに戻ってくるべき。 どれも納得した。特に②、③。今自分がやっている自然言語処理なんかも、それ自体が役に立たないわけではないけど、そもそも何のためにやるのかという視点が欠けている場合が結構ある。その文書が論文か論文でないかを判定するためにベイズ統計の精度を上げる前に、そもそもそんなことする必要があるか?という視点から始めてみたい。先生があまりにもそういうコメントをくれないから僕がイライラしているだけかもしれないが…。上山研ではビシビシコメントをくれるそうで。まあうちの場合は学生からのフィードバックがその代わりなのかな。 ③なんかは大学生にもあてはまる。大学進学率が40%あるってのはやはりおかしくて、そのほとんどは人口構成上大学に来るべきではない人のはず(韓国なんて90%近いらしい)。今自分が4年生になってみて、たしかに知識や精神的に大きく成長したとは思うけど、日本でもトップクラスと言われる大学にいて、成績も奨学

かっこわるいおっさん

僕自身は(特に後輩の前なんかだと)かっこつけてしまう悪い癖があるのですが…(ええかっこしいということですか)別に自慢したいという思いがあるわけではありません。それはさすがにかっこ悪いと思うわけです。でもこのおっさんは本気でかっこ悪いと思いますね。。 軍曹の独り言 http://ameblo.jp/coredump/ 某サイバーエージェントで働いていると思われる40歳近いおっさん(たぶん独身)ですが…気持ち悪いのなんのって。特に文章だからそう思うのかもしれない。本当はどうだか知らないけど。 でもいるよね。こういう漢!とか男気!とか大好きな人。プロ!プロ!とか叫んで、それを人に押し付ける人。暑苦しい。しかもただ暑苦しいだけならくそ体育会ということで、愛すべきこともあるのだが、この人はうざい上に暗い。忙しい自分、結婚せず色々遊んでいる自分、でも一人が見つからない自分に対して自嘲気味に語る。そして自分の気に食わない人・ことに対して怒る。そんな歳して同情が欲しいのか。 職業人としてはしごく当たり前で素晴らしい姿だと思うが、それをこういう感じで表現するのは全く美しくない。僕が40歳になったときには絶対にこういうおっさんにはならないようにしよう。 何の苦労もしてません。毎日幸せです。そんな印象を与えられるような人になりたい。

ドキュメンタリー視点

一度あることを考え出すと、しばらく止まらなくなるのが僕の癖です。下手をすると一週間くらい考えがとまらないこともありますが、最近はせいぜい3日くらいになりました。それに伴ってマイナス思考も短期間で終わるようになりました。まあそれはいいとして、先日ブログに藤田研のことを書いてからずっとそのことが頭から離れません。 ドキュメンタリー=シネマ というのが藤田先生の考える図式でした。映画であること。映画として美しくあること。ドラマがあること。単なる映像でも、記録でもない、シネマこそドキュメンタリーなのだという藤田先生の考えは、落第生である僕にもしっかり残っています。その意味では優秀な学生かもしれない。嘘です。 部活という、映画とはかけ離れた場所で日々過ごしている僕の生活をドキュメンタリー視点で見てみると、実に面白くない対象であることがわかります。残念ながら、体育会なんてものはしょせん大学生の道楽に過ぎない。特に自らが競技する立場の場合、どんな理由があったとしてもシネマにはなりえない。なぜなら、好きでやっているだけだからです。誰からも強制されていない。しかも僕達は大学生であり、自分で自分のことを考えられる年齢です。そんな人間が自らの決断で始めた体育会をドキュメンタリーにしようとしても、記録にこそなれ、シネマにはなりえないでしょう。 藤田研の卒業制作には、明大明治中の応援団に入った中学男子生徒数名を追ったドキュメンタリーや、山梨県の山間部にあるサーカス団で夢を追う若者のドキュメンタリー、藤沢市にある老人野球チームに密着したドキュメンタリーなんかがあるそうです。サーカス団は見てませんが、残りは断片的に見せてもらいました。上手くコトバにできませんが、たしかに違うのです。僕らが置かれている立場がいかに恵まれていて、言い訳のできないくらいに羨ましい環境であるということを見せ付けられている気がするのです。僕らの環境は、決して卒業制作の対象になりえないな、と感じてしまうのです。 それでも、僕は体育会にいます。やはり好きなのだと思います。「こうしたい」という想いを持ち、実現させていくことが。「対象に入れ込むな」というのは藤田先生が仰った注意点ですが、そういう意味では僕は完全に対象に入れ込んでいます。だから準硬式ではドキュメンタリーが撮れないのかもしれない。でも、ドキュメンタリー視点で見てみると

やりたいこと

みんなのmixiを見ていると、院に行かない人にとっては学生最後の年ということで「やりたいことリスト」を列挙しているのが目に付きます。旅行だったり、旅行だったり、旅行だったり…まあほとんど旅行なんですが(時間あるし)、いざ自分の中でそういう「やりたいこと・やっておきたいことリスト」をつくろうとすると、あんまり思いつかないってのが本当のところです。引退するのが11月だからでしょうか。ていうかそもそも全然ヒマじゃないってのが理由ですね。11月までは何も考えられない。全日本大会出るし。 まあ旅行は行きたいです。ドイツとかトルコとか。奨学金も取れたのでこれを注ぎ込むことになるのか… いわゆる「やりたいこと」ではないけど絶対にやっておきたいのが、部におけるOBとの関係改革です。部を完全に自律した組織にしたい。OBの過干渉を防ぐ仕組みを残して引退したい。選手としてはほぼ終わった今、自分の力を発揮できるのはここしかありません。というか、こういうことをやりたくて部に入ったようなものですから。 昔は選手も少ないしコーチになりたいという学生もいなかったから、OBの協力は絶対必要でした。しかしそれは苦肉の策であって、組織の有るべき姿から考えれば、例外中の例外として捉えるべきでしょう。あくまで「学生野球」なのだから。今、コーチ等のスタッフとして部を強化し、自分の力を存分に発揮したいという学生が現れている以上、OBは現場から去るべきです。そうでなくては、今後コーチとして活躍したいと思う学生の居場所を奪うことになる。みすみす有能な学生を逃すことにつながります。 「カネは出すが口は出さない」のがOBの鉄則です。口を出したいならもっとカネを出すか、UCLAにでもコーチ留学して欲しいものです。現役時代に頭を使っていない人間の話なぞ、誰が耳を貸すかってんだ。 あとは女子マネか…しかし先日某サークルの女の子たちと昼を食べていて、痛烈に感じました。やっぱ女子マネになる子と自分が選手としてやる子ってのは全然違うんだなと。組織としてどっちがやりやすいかは…推して知るべしって感じでしょうか。

寧静夏日 quiet summer をいつか撮りたい

7月になりました。2009年も折り返し地点を過ぎ、終わりが始まろうとしています。2009年の総括を始めるには早すぎますが、その準備を始めるには早くないと思います。といって、振り返るといつもそこには野球と、それにまつわる二、三の事柄が存在しますので、今はそれ以外の事柄について書き残しておきたいと思います。それは研究会についてです。 僕にとって研究会とは何だったのでしょうか。勉強の場か、はたまた苦行か。大学2年のときに石崎研(認知科学)に入り一年間を過ごし、3年になってから藤田修平研究会をとるため石崎研を自然言語処理に鞍替えし、結局藤田研では映画が撮れず、今にいたるという感じです。僕の中では藤田研できちんと映画を撮れなかったというのが、のどに刺さった小骨のような感じになっています。しかし、藤田研で得たことは実は非常に大きかったのではないか、と今になって思います。ということで、今回は研究会といってもわずか半期しかいなかった藤田研について書こうと思います。 藤田修平研究会「ドキュメンタリープロダクションⅠ」は、初心者向けドキュメンタリー映画撮影研究会でした。要するに映画を撮るための研究会で、ドキュメンタリーの歴史をちょっとやり、技法をちょっと学び、最後は撮りに行くというのを13回でやるのです。実際は授業外作業が必須ですが…。僕は押井守が大好きだったということもあり、だったらドキュメンタリーではないだろという思いもありつつ、これを逃したらもうないだろうなという強い思いもあって履修したのです。今思えば無謀。しかし計算していたら絶対に履修できない研究会です。 SONY製の大きなカメラを持ち、ガンマイクをさし、ヘッドフォンをつけ、マニュアルフォーカスで固定し、ホワイトバランスを気にし、構図を意識し(日の丸構図にしない!)、等々、実に色々なことを気にしなければいけないということを知りました。映像を撮るというのは知識ではなく、技なのだということを知りました。そして何よりも大きかったのは「お前は何を撮りたいのか?」ということ。技法を学ぶだけならGoogleで調べればよい。でもドキュメンタリーを撮るには、「これでなくてはならない」という強い想いが必要となります。しかもそれだけではダメなのです、藤田先生が繰り返し仰っていたのが 「なぜ私たちはそれを観なくてはならないのか?」 ということでした