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2月, 2013の投稿を表示しています

スポーツにまつわるあれこれ

朝日新聞にIOCのジャック・ロゲ会長のインタビューが載っていて、なかなか面白いと思いました。オリンピックのアマチュアリズムは偽善だ、商業主義によって発展途上国が参加できる、オリンピックのメダル獲得を国別に報道するのはメディアだ、などなど。そもそもなぜオリンピックというものがあるのか?ということをIOCはちゃんと考えているんだな、と思いました。それが旧宗主国的な匂いがするとしても、発展途上国の選手が活躍できればそれは100人の大使よりもよい宣伝になり、国の発展につながるという認識。日本というすでに先進国に住んでいる身から眺めると、実に狭い視野でしか見れていないということに気づきます。しかし朝日新聞のあのリードは意図的なのか。 東京がオリンピックを招致使用としている中で、内柴や体罰でゆれる柔道や桜宮高校の自殺があって、日本のスポーツの異様さってのが徐々に認識されているのはいいことだと思います。このタイミングで「まあタイミングもあれだし、ここは穏便なあれでひとつ」みたいな着地をしないことを祈ります。東京都知事が猪瀬さんで、大阪市長に橋下さんがいるから大丈夫だと思いますが。  日本のスポーツが海外と違うところとして、なんと本日の朝日に記事が出ていたのですが、ようするに拠点としているのが学校か民間のクラブかってことだろうと思うんですね。日本だとまあスポーツといえば「学校の部活動」であり、レクリエーションってのは遊びという認識があると思います。でもハードルの為末さんもつぶやいているように、そもそもスポーツは遊びであって、チャンピオンスポーツだろうがそこは変わらない。海外ではその認識が強いと思います。スポーツは遊び。楽しいからやる。それをどういうステージでやるかという問題だけです。 それが日本の場合学校教育と密につながっているから、スポーツは数学とか国語とかと同じものに分類されます。多くの日本人の頭の中では、その中でもスポーツは道徳の科目に近いものだと思っているんじゃないでしょうか。 よくスポーツによって人間力があがるとか、礼儀が身につくとか言う人がいますが、それは結果的に身につくこともあるだけであって、スポーツはそのためにあるのではないはず。 あと勝利至上主義がどうこうって意見が出ますけど、勝利至上主義=体罰にはならないですよね。じゃあヤンキースとかレアルマドリ

売れる経験

会社の先輩や同僚と話していて、自分がこの会社で3年間働いてきたことによる経験って何だろうというのを考えるようになりました。ちょうど目標設定の時期でもあり、また3年目が終わるということで転職とかの話が出てくる時期でもあり(若者が辞める目安の3年目が終わるのです)、改めて経験をふりかえってみました。自分は何をしてきて、何ができるようになったのか。 ■2010年(入社1年目) 研修 (ほぼ)生まれて初めてコードをさわる →売れる経験という意味では価値は0だが、自分の人生的には非常に大きな一歩を踏み出したアームストロング的な1年。ただしプログラミングの量的にはミジンコレベル。ていうかこの頃はほぼ何もわかっていない。学生と会社の文化的違いに戸惑っていた。 ■2011年(入社2年目) 中規模のプロジェクトでプログラミングやテスト 小規模プロジェクトでは一人で全部こなす 大規模プロジェクトで開発、炎上 →PHPを使って開発をいろいろやった。割合でいえば小規模なものが多く、自分でどうすべきか考えることが多かった。経験としてはよかったのかもしれないが、ベストプラクティスを学ぶことがあまりなかったように思う。また2012年にもかかるプロジェクトでは炎上した。鎮火せず。 ■2012年(入社3年目) 大規模プロジェクトの続き 中規模プロジェクトを自分で最初から最後まで(今も) さらに大規模プロジェクトに途中参戦、テスト設計や実施、プロマネちっくなことや調整業務も。 インフラ設計者としていろいろ設計する →同僚の人たちに指示を出したり、どう動いてもらうべきか計画を立てる立場もこなしたりしなければいけないようになった。また他部署との調整業務もかなり増えた。弊社の傾向として、社員エンジニアはどんどん書かなくなるというのがあるが、着実にそうなっているという印象。 ☆客観的に今できること PHPである程度書けます シェルスクリプトが多少書けます サーバ、ネットワークのことが多少わかります インフラ設計がある程度できます? 5名程度のプロジェクトをハンドリングします(誇張あり) て感じだろうか。で、これで先輩に言われた「それでなりたい自分になれているのか」ってことですよ。 自分がなりたい像って何だろう。 新しいビジネスを作れる人になりたいと

勉強について

最近ものすごい勢いで本を捨てています。主に大学の頃に買った本を捨てているんですが、当時の本の選び方に傾向があって面白い。学生なので、なんとなく役に立ちそうなビジネス本で目についたものを買っていたなぁ。マッキンゼーOBの本とかね。学生はそういうのに弱いもんだと思うけど。 今はどういうものを選ぶかというと、割と教科書に近いものを買うようになった気がします。といっても各分野で複数買うので、評価の高い古典的なものから割と新しいものまで、少なくとも3冊くらいまとめて買うので、選ぶことにあまり時間をかけなくなったとも言える。一応ブログとかも調べて業界の人が読んでいるものかどうかってことは確認しますが、それもせずにえいやっで一気に買ってしまうことも増えました。とにかく読むことが重要で、迷う時間がもったいないという感覚ですね。これは稼ぐようになったからこそ。 社会人になってからも勉強し続けないといけないなと思っているわけですが、仮に自分が就職留年とかしてたら社会人になっていた自分と比べて大分遅れをとっていただろうなと思います。なんであれ社会人になってOJTを受けつつ、お金をもらいつつ実戦経験をつみつつ知識をつけていくのと、もう何年か学生をやっているのでは全然違うなと思うわけです。学生を何年やっても同じ場所で足踏みしているだけで、足踏みがどれだけ上手くなっても歩いたり走ったりはできないわけです。そして生きるということはニアリーイコール稼ぐということなので(鳩山由紀夫は別ですが)、稼ぐことは山道あぜ道を走ることですから、舗装された道の上で、歩きもしない状態じゃいったいその時間は何なんだって思います。自分は大学生のとき、就職留年も大学院進学もせずに社会に出ると思っていた訳ですが、やっぱりまず社会に出て経験を積むってのは一番手っ取り早い練習だなと思います。知識や経験の面でもそうだし、いい習慣をつけるという意味でも。悪い習慣がついてしまう人もいますが。 アメリカでは博士までいかないとダメだとか修士までいくのが普通だとか言うけど、そういう人が就職活動で戦争みたいに競争してるのがアメリカの実態なわけだから、それにくらべて甘い日本でとっとと就職して力をつけるってのが一番いい気がすると自分は思います。日本で成長企業とか強い企業に入って自分の力も高めて実績も積んで、時が来たらアメリカにでも

FA

もうそろそろ社会人3年目も終わってしまいます。大学でいえば最終学年になるわけで、ちょっと恐ろしい。大学よりも時間のたつのがものすごく早く感じます。意識しなければ、意識して行動しなければあっというまに歳を取って、気づいたら中年ということになりかねないと思いました。 キャリアという面でいっても、目の前の仕事にどれだけやりがいがあっても、自分としてどういう道に進んでいきたいのかということは自分で考えて行動すべきだと改めて感じました。会社がそれを助けてくれるわけではないということを肝に銘じておかないと。今の職場に不満があるわけではないですが。 ただ世の中的にどういう力・経験にニーズがあるのかってのは外に出てみないとわからないな。 売れるキャリアを作りたい!というわけではないけど、FA宣言したときにオファーがくるような人間になっておかないと不幸だ。できればそのときに高い年俸がつくほうがいい。そのためには、他球団の動向や業界全体としての受給を考えつつ、自分のできること、得意なことを見極めて力をのばしてニーズにマッチすれば最高って感じか。 自分の強みがニーズにマッチしないなら、足りない部分はのばすべきだし、同時に強みを誰も追いつけないくらいにしておくという感じなのか。二兎おってるじゃないかという気もするけど。