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10月, 2016の投稿を表示しています

経営人材に

仕事において、自分で主体的に何かやって成果を出した経験と言われて、誰もが納得する成果を出したと言い辛いところがある。案件単位ではもちろんあるが、部署の戦略とかは口も挟めないし。でもそういうことを当然のようにやってる人たちもいるわけだ。俺より給料低い人たちで。高級作業員になってないかな。 企画屋になりたい、という気持ちはあるけど、やはり強みはシステムにあるのか。システムコンサルタント的な。でも、そこで生きていくことに今は惹かれない。今はそれでもいいか。 企画屋、ていう考えを外そう。結局個人事業主なんだ。経営人材にならないとだめなんだ。システムだろうが企画だろうが、そういう責任で仕事しないとだめだ。 俺にとってのメジャーはどこだろうと思ってたけど、今の会社がそうなのかもしれない。そうするとメジャーに上がれてないってことだ。本当に勝負してる人たちのところに上がれてない。あの人たちがイカをつかまえて、我々がスルメにしてるんだ。 あの人たちのいるところにお呼びがかかるようにならないといけないんだ。

慶應

東京カレンダーの連載は下心を隠そうともしない感じで面白い。 最近は慶應内格差というのが連載されている。 https://tokyo-calendar.jp/story/4800 ---------引用----------- 慶應義塾大学内には、他大学からは決して窺い知れない“格差”がある。それは、大学入学に至るまで、どのような経路を辿ってきたかという格差だ。 比率的には、大学受験を経て入学した「外部生」が圧倒的に多いが、高校は男子校である「慶應義塾高」、埼玉にある「志木高」、女子校である「慶應義塾女子」、共学である「SFC」、そして「NY高」と高校の内部生は5つに出自が分かれる。 十把一絡げに慶應とは言い切れないもやもやを慶應生は大学時代から抱え、社会へ旅立っていく。そんな“慶應内格差”をお届する。 -------引用終わり--------- 俺も中学からの内部生ではあるものの、大学まで一貫して海に近い方にいたからエラそうなことは言えないが、慶應の「主流」意識を強く持つ人たちがいるのは間違いない。ブランド志向。 幼稚舎→普通部→塾高→経済、みたいな。女子なら幼稚舎→中等部→女子高→法学部?みたいな。で就職のときは人気ランキングを上から受けるみたいな。それで一丁上がり。本当にこういう風に考えてるいる人がまだ(特に保護者に)いっぱいいる。事実として。 ただ人付き合いする上で、彼は外部だから、彼は幼稚舎だから、って言う判断基準持つのは、慶應の外の人じゃないのかなーという気がするが。まあ高校入ったばっかとか、大学入学1年目とか、そのときは内部だ外部だという話はする(それぞれ出自がわからないので)。でも1年たったら一緒だからな。東京カレンダー的な、高級店に連れて行かれるみたいな話は、女子学生にはあるのかもしれないが、男子学生にはどれだけあるのか不明。俺は体育会だったけど、ぶっちゃけ体育会にいると遊ぶ時間はほんとない。オフがないんだから。 俺の場合、オフは連盟の仕事してたから実質半年無休みたいな感じだったので。クラブで遊びくるうとか広尾のレストランとかは未知の世界だった。やってるやつもいたのかもしれないが、そういうのは社会人の金のある先輩(外資とか商社、電通とか)とよく遊んでる奴とかでないと無理なんじゃないかね。そしてそういう先輩も学生は連れ出さないだろ、という気はする。全おご

仕事してない感覚

ひさしぶりに仕事でダメ出しをくらった。ここ数ヶ月どれだけ事務作業しかしてなかったのか。文句の言われ用もないことしかやってなかったってことだ。やばい。養老孟司がいうところのスルメをサキイカにするようなことしかしてない気がする。 寒くなって体調崩したのも相まってネガティブになるな。為末大さんがいう自分を使い切ることができてない感じ。そのくせ妙に忙しいのが気持ち悪い。

キムショー

キムショーが戦力外通告を受けたようだ。昨年広島からテスト入団して1年でクビ、って厳しいだろと思うけど、これがプロの世界なのか。ニュースとか見るとそもそもFAしたのが間違いだの、広島に残っていれば仕事はあっただろうにだの、いろいろ言われているけど自分には違和感がある。実際そうかもしれないけど、ものすごーく終身雇用的な発想だな、と思う。そして、その考え方ってプロ野球選手に当てはまるんですか?とすごく思う。キムショーはプロ野球選手ですよ?プロ野球選手がそんなんでいいんですか? 広島では若手の台頭もあり代打やら守備固めやらがせいぜい。レギュラーは望むべくもないという状況。だからFA権を取得したので他球団にいくチャンスをうかがう、って普通じゃないですかね。 いくら自分が広島でレギュラーではないとはいえ、広島にいたらジリ貧なわけだから。野球の能力は基本的に年齢と共に落ちるわけだし、球団には毎年新戦力が入ってくるわけだから長くいればレギュラーに定着できるわけじゃない。誤算(なのか?)といえば、どこも手を上げてくれなかったってことなんだろうけどぶっちゃけ、本人はそれも覚悟でFAしたんじゃないかと思う。どこもとってくれなきゃ引退だ、という覚悟のFA。 このまま2軍かベンチかという半プロみたいな状態でいるより、生きるか死ぬか潔く、ってことじゃないかと思う。巨人の吉村(札幌で激突された人)も自伝かなんかで、「プロ野球選手というのは動いていなければまったく価値はないのです」と書いていたけど、これはようするに1軍でバリバリにやっていなければ、ということ(吉村はバリバリのレギュラーだったし)。そういう生き方ができないのならプロ野球を辞める、というのは、むしろサラリーマンとして生きる人もちゃんと理解したほうがいいんじゃないかね。 それをなんか、広島にいたほうがよかったとか、馬鹿なことをしたとか、やっぱりおれは一生転職しないとかヤフコメにあふれているけどそもそもキムショーは広島にいたら本当にいい思いできたんですかね。たぶんシーズン通して2軍で、今頃戦力外食らってるんじゃないか。今年広島にいたとしても、結局選手としては去年に死んでるわけですよ。だったら、早いとこ通告された方がいいんじゃないかね。キムショーは結果的に今年4月に怪我したという運のなさもあったけど、一度死んだ身だし、吹っ切れるのではないか

入社してから今日まで

実際社会人になってみると、最初はエンジニアとしてついていくのに精いっぱいで、自分の軸とか今後どうしたいとか考える余裕はなかった。まずは今の職場で使える奴にならなければその先はないと感じていたし、その判断は間違っていなかっただろう。向いてないのではという予感はあったものの、ここで営業に転換するとIT企業に入った意味ないなと思い3年くらい頑張ることに決めたのだった。営業をやるならセンサー企業に行けばよかったわけだし。 で、最初の2年くらいの記憶はあまりない。とにかく、役に立とうと思っていろいろやった。今思えば細かい仕事ばっかりだったし、体よく細かい仕事を押し付けられた感はあるが、そのくらいのレベルだったしちょうどよかったのだろう。ただ新しい業務にチャレンジしようというのは常に意識していた。仕事に慣れてすいすいできるようになる状態がずっと続くのはまずい、と。 でも3年すぎるとさすがにエンジニアでやり続けるのは難しいなと感じた。興味がそっち方面に出てこないし、実力も他と比べると大したことないし。今後も続けられないとおもって転職活動をしてみた。当時コンタクトとったエージェントは、AWSをやたらと推してきたがAWSに強みのある人だったんだろう。ただ当時話をして言われたのが、あなたはOracleとかMicrosoftとか外資ベンダーでお客様相手にソリューション商売をするのがいいかも、ということ。ある意味、今の仕事に通じるものがあるし、方向性としては今とそこまで変わっていないのかもしれない。 でも面接に行ったのはグリーだったけど。で、グリーは当時成長中だったがガチャ問題もあり採用は厳選していて、今の自分ではエンジニアは無理とあっさり言われる。でも面接官が元弊社の人で、残ったほうがいい、そこでキャリアを積んだ方がいいと強くいってくれ、(少し)救われた。と同時に、「ああ今の自分では外にも出られないんだ」「外に出てキャリアチェンジではなく、中でやらないと自分の行きたい方向にはいけないんだ」と強く思わされたのだった。ふつーに一生懸命仕事してるだけじゃダメで、自分が将来どうなりたいかを自分でわかっていないとそもそも進みたい方向なんかわかるわけないし、今どうすべきかも決められないんだということなんだけどグリーの面接で落ちるまで分からなかったんだなー。あれは4年くらい前だったか。この面