今週の相棒を観た。今やっている劇場版2とは違った形で感動した。唯一の家族と暮らす以外に何も望まない人生。日本にもそういう境遇の人はどこかに必ずいるんだろうな。 いつかの非正規雇用者の話をちょっと思い出した。この日本にも、毎日がただ生きるために流れている人がいる。自分はそういう人の気持ちを想像はできても実際に感じることはできない。感じられる境遇になりたいとも思わない。でも、そういう人以上に毎日がただ生きるため、もっと言えば生き残るために流れている人が、世界には数億人いるんだろうな。 NBAの誰かが(たしかすごい貧しい暮らしから這い上がった人)、「本当の絶望ってのは、自分が13歳(よく覚えてない)で、両親もなく、さてこれからどうやって兄弟7人を食わせていこうかという状況のことを言うんだ」みたいなことを言った、というのを何かの記事で読んで、ショックを受けた記憶がある。今の自分も毎日プチ苦労みたいなのをしているが、本当にそれはプチでしかなくて、生きる上では蚊に刺されるくらいの影響しかないんだね。その時ちょっと嫌な思いをするくらい。 今自分には職があって、在籍している会社は割と勢いがある。まあその中で働くってのは少しは大変だし、将来どうなるのかという不安もあるし、プレッシャーみたいなのもかけられる。でもそれが大変だと思うのは、客観的にすさまじい重圧がかかっているというんではなく、自分自身で勝手に重圧をかけているんじゃないかと思ってきた。 将来どうなるんだろう、という不安は、「こうなってたらいいな」という希望があるから生まれる。「仕事が難しい、プレッシャーがきつい」というのは、「できるようになりたい、上にいきたい」と思うから。希望がなければ絶望もしない。 個人的には、仕事で自己実現というのがピンとこないので、仕事上の目標というのはよくわからない。将来自分が有望だ・やってみたいと思うことがあったとき、自分で行動を起こせるような人物になっていたいとは思う。でも「○○で世の中を変えたい」みたいには思わない。変えられるのは世の中じゃなくて自分だけだと思うし、「世の中を変える!」みたいに意気込むのは、妙な自己犠牲精神・聖職者精神を強要するようで気持ち悪いから。変革は受け入れられてはじめて達成される。ジョブズみたいにセールス的改革をやるんなら、それができる人間になってなきゃダメだと思う。だ