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1月, 2011の投稿を表示しています

雑記

今週の相棒を観た。今やっている劇場版2とは違った形で感動した。唯一の家族と暮らす以外に何も望まない人生。日本にもそういう境遇の人はどこかに必ずいるんだろうな。 いつかの非正規雇用者の話をちょっと思い出した。この日本にも、毎日がただ生きるために流れている人がいる。自分はそういう人の気持ちを想像はできても実際に感じることはできない。感じられる境遇になりたいとも思わない。でも、そういう人以上に毎日がただ生きるため、もっと言えば生き残るために流れている人が、世界には数億人いるんだろうな。 NBAの誰かが(たしかすごい貧しい暮らしから這い上がった人)、「本当の絶望ってのは、自分が13歳(よく覚えてない)で、両親もなく、さてこれからどうやって兄弟7人を食わせていこうかという状況のことを言うんだ」みたいなことを言った、というのを何かの記事で読んで、ショックを受けた記憶がある。今の自分も毎日プチ苦労みたいなのをしているが、本当にそれはプチでしかなくて、生きる上では蚊に刺されるくらいの影響しかないんだね。その時ちょっと嫌な思いをするくらい。 今自分には職があって、在籍している会社は割と勢いがある。まあその中で働くってのは少しは大変だし、将来どうなるのかという不安もあるし、プレッシャーみたいなのもかけられる。でもそれが大変だと思うのは、客観的にすさまじい重圧がかかっているというんではなく、自分自身で勝手に重圧をかけているんじゃないかと思ってきた。 将来どうなるんだろう、という不安は、「こうなってたらいいな」という希望があるから生まれる。「仕事が難しい、プレッシャーがきつい」というのは、「できるようになりたい、上にいきたい」と思うから。希望がなければ絶望もしない。 個人的には、仕事で自己実現というのがピンとこないので、仕事上の目標というのはよくわからない。将来自分が有望だ・やってみたいと思うことがあったとき、自分で行動を起こせるような人物になっていたいとは思う。でも「○○で世の中を変えたい」みたいには思わない。変えられるのは世の中じゃなくて自分だけだと思うし、「世の中を変える!」みたいに意気込むのは、妙な自己犠牲精神・聖職者精神を強要するようで気持ち悪いから。変革は受け入れられてはじめて達成される。ジョブズみたいにセールス的改革をやるんなら、それができる人間になってなきゃダメだと思う。だ

脱ルーキー

ルーキーではなくなって、一人前の結果が求められるようになりました。でも知識が足りません。なのでどうすべきか。自分の仕事をやり遂げるために、業務中できることは限られています。 1.聞く 2.聞く 3.聞く 今のところ、できるのはそれだけだと感じています(オプションが他にないので)。でもそれを、どれだけ徹底的にやれるかが大切なのではないかとも思います。わからない。でもやらなくてはならない。それで給料貰うのだから。だったらわかるまで聞こう。徹底的に食いついてやろうじゃないか。 こっちも給料を貰っているのです。必死で聞くことの何がいけないのか。っていうメンタルでやっていこうと思います。そのくらい面の皮が厚くないと、自分で自分を殺すことになりそうなので。

メンター期間終了

僕のいる会社ではメンター期間というのがあって、配属されてから12月までの間、先輩社員がメンターとして色々面倒を見てくれます。その期間が先日の振り返り面談をもって終了しました。配属は9月末だったので、実質3ヶ月しかなかったのですが、メンター期間というのがあってよかったです(あと1ヶ月あってもよかったけど)。 配属されて3ヶ月たって、結構変わったなと感じています。知識も行動も意識も。 先日の振り返り面談で「予想より成長できたか」と聞かれ、「予想通り」と答えたら期待していた答えと違ったようです。今考えれば、言い方がまずかった。意味としては「期待通りに成長できた」って感じでしょうか。 具体的にこうなるだろうと描けていたわけではありません。でも、きっと自分なら壁にぶつかってもしっかりやるだろうと期待してました。実際壁にはぶつかりましたが、一生懸命考えて、わけもわからない中でがむしゃらにぶつかったつもりです。そこから少しずつ質問の仕方とか、仕事の管理方法とか、メンバーの性格とかを掴んでいきました。配属された頃からそういう過程を踏むだろうと思っていて、実際にそうなったので、「予想通り」と答えました。うまく伝わらないから言い方ってのは難しい。。 自分の部署の仕事内容や仕事量が他と比べてどうなのかはわかりませんが、少なくとも、今の自分には合っていると思います。毎日楽しく取り組めているからです。向上心を持てるのは合っている証拠でしょう。こういう前向きな気持ちを持ち続けられることがあと4年くらいは大事だと思いますので。 他の部署や会社がどんなことをやっているのかはわからないので、自分の成長具合が速いか遅いか判断は難しいところです。ただ、元々自分とは縁遠いと思っていた業界・職種なので、多少遅くても気にしないでいこうと思います。ただ、今の会社で得られることは全部得るくらいのつもりでいきます。今年1年、特に人との関わり(他部署の知り合いを増やす・月4人の他部署ランチMTG実施)を意識して頑張ります。 とはいえ、いきなり1月は危なそうだけど。。

カンブリア宮殿忘年会を見た

今更だけど、カンブリア宮殿忘年会を見たので、思ったことを少し書いておこう。 夏野さんは大学の授業をとっていたこともあって、発言の一つ一つにいちいち納得できた。ああいう人に習うことができて本当によかった。 夏野さんは今の就職活動について「学生に求めるレベルは非常に高いが、今雇われている人にはそれを求めていない。今の50代で英語喋れない人なんていくらでもいる」といっていた。就職活動や雇用の話を見聞きして違和感がある理由は、学生に対して「ああしろこうしろ」というだけで、今働いている人は何も変わらないでいいという前提があるから。本当なら、今の40~60代に同じような基準で選別し、働いていない人を切ったほうがいいに決まっている。できないのは民主党が労組を支持母体にしているからだろう。でもそんなことしてると、皆一度に死ぬんだろう。 あと留学について。これは忘年会では話されなかったが、今知識人とか専門家とか言われている人が「内向きになるな。留学しろ」と言うことに対する違和感。たいていの場合、留学して学ぶことは「英語」だけな気がするんだが、気のせいだろうか。世の中にはいろいろな学問分野があるけど、本当に海外が最先端な学問分野ってどれだけあるんだろうか。また、仮に最先端が海外だとして、本当にキャッチアップしなければヤバイという分野は何だろうか。そういうのをよくわかってないのに、ただ海外にいけというのはちょっと能天気な気がする。海外に行きさえすれば何かが変わるわけじゃない。 自分の学生時代、無駄な留学をした人は周囲にいくらでもいた。そういう人は海外にいくことが目的で、本来ならその目的は旅行で満たすべきだった。留学としていくなら、時間と金を投資するだけの価値があるものをきちんと選ぶべき。その価値ってのは、まあ90%就職だろう。それに役立たない留学だったらしない方がいい。なのに今ニュースとかだと、「留学(ほとんど遊び)はしたい。でもそうすると就職活動に不利になる。それはおかしい。だから就職活動は4年の秋から、もしくは卒業後にすべきだ。」という妄言を放つ人が結構多い。 学生なんてさっさと卒業しちゃった方がいい。その後で学びなおすかどうかは考えればいい。企業で働くかどうかは選択肢の一つに過ぎないけど、社会に何か還元していないうちは、結局何を考えてもムダなんだと思う。

振り返り

2010年の振り返り。よかったこと。 1. 今の一日に集中できたこと。戻れない昨日を捨てたなら見えない明日も忘れろってことです。 2. インフラ系の本を読み始めたこと。 3. 同期との集まりに(自分としては)積極的に参加したこと。 改善点。 1. スケジューリング。工数をまず見積もる。そして見える化しておく。 2. 無駄なコミュニケーションをもっと取る。厳密に言えばそれは無駄じゃない。 3. 追い込み。1.と矛盾するようだけど、スケジューリングはきっちりして、一度オーバーワークになった方がいいと感じた。 ハードワークしないで記憶に残ることができるか。できるわけがない。 学生の時ですらそのくらいやった。だったら最低でもそれ以上はやろう。 頭を使うのはハードワークしてからでいい。まずは体に覚えさせることだ。