動画サイトで中途半端なところまでしか見られず、TSUTAYAにもないが気になるのでDVDボックスを買ってまで見はじめてしまった平清盛。2ヶ月ほどかかってついに壇ノ浦の戦い、平泉の戦いまで行き着いた。平清盛の生涯が64年ということだから、わずか60数年の間に平安貴族の世から武士の台頭、平家の隆盛、源頼朝の挙兵とそれにともなう混乱、そして平家滅亡まで至るわけか。2015年の60年前だと1955年で、戦後10年という時代。そこからたしかに日本は大きく変わったが、平清盛の時代、東夷と蔑まれた人種が国のトップに立つなんて誰も考えなかっただろう。その時の衝撃は、戦後日本の70年の変化と比べても凄まじいものがあったに違いない。 しかし平清盛を見ていて、平氏が滅亡しない道はなかったのだろうかと思わされた。平家はもはや武家ではないという言葉通り、貴族と化した平家は滅ぼされて当然、驕れる者は久からずと言われるが、武家が朝廷で勢力を伸ばそうとする以上、そこで認められるために力を尽くすのは当然。武家で無くなるのは当然だったのかと思わされる。実際、平家の都落ちの原因となった木曾義仲はそういった素養がまるでなく、都を支配することもできずに討伐の命を下されている。そのような素養を身につけ、朝廷で認められるのは絶対に欠かせないことだった。しかしそれをやるがゆえに、都から遠く離れた東国で不満を募らせた東国武者たちが反乱を起こすのは必然だったようにも思える。 もし平家が東国をもっと収められていれば、源氏の反乱も起こることがなかったのだろうか。しかし東国は西国と違って貿易の要所でもなく、抑えるべきメリットがそこまでなかったのかもしれない。また、朝廷にもっと味方がいれば、鹿ヶ谷の陰謀やら何やらで、内部から揺さぶられることもなかったかもしれない。平家は公卿の一群になっていたにもかかわらず、藤原摂関家とかそれ以外の公卿たちの協力を得なければやっていけなかったのだろうか。彼らを完全に掌握できなかったのが悔やまれるというところなのか。 かといって、平家を倒した源氏も自身の子の代で将軍が絶え、あとは北条家に実権を握られることになる。その北条家も中で殺し合いをしているし、貴族化しようが武家のままであろうが、あまり関係ないのかもしれない。功労者には領地を与えると言っても、戦争が終われば功をあげる機会も