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9月, 2015の投稿を表示しています

大河ドラマ 平清盛を見終わってしまった。

動画サイトで中途半端なところまでしか見られず、TSUTAYAにもないが気になるのでDVDボックスを買ってまで見はじめてしまった平清盛。2ヶ月ほどかかってついに壇ノ浦の戦い、平泉の戦いまで行き着いた。平清盛の生涯が64年ということだから、わずか60数年の間に平安貴族の世から武士の台頭、平家の隆盛、源頼朝の挙兵とそれにともなう混乱、そして平家滅亡まで至るわけか。2015年の60年前だと1955年で、戦後10年という時代。そこからたしかに日本は大きく変わったが、平清盛の時代、東夷と蔑まれた人種が国のトップに立つなんて誰も考えなかっただろう。その時の衝撃は、戦後日本の70年の変化と比べても凄まじいものがあったに違いない。 しかし平清盛を見ていて、平氏が滅亡しない道はなかったのだろうかと思わされた。平家はもはや武家ではないという言葉通り、貴族と化した平家は滅ぼされて当然、驕れる者は久からずと言われるが、武家が朝廷で勢力を伸ばそうとする以上、そこで認められるために力を尽くすのは当然。武家で無くなるのは当然だったのかと思わされる。実際、平家の都落ちの原因となった木曾義仲はそういった素養がまるでなく、都を支配することもできずに討伐の命を下されている。そのような素養を身につけ、朝廷で認められるのは絶対に欠かせないことだった。しかしそれをやるがゆえに、都から遠く離れた東国で不満を募らせた東国武者たちが反乱を起こすのは必然だったようにも思える。 もし平家が東国をもっと収められていれば、源氏の反乱も起こることがなかったのだろうか。しかし東国は西国と違って貿易の要所でもなく、抑えるべきメリットがそこまでなかったのかもしれない。また、朝廷にもっと味方がいれば、鹿ヶ谷の陰謀やら何やらで、内部から揺さぶられることもなかったかもしれない。平家は公卿の一群になっていたにもかかわらず、藤原摂関家とかそれ以外の公卿たちの協力を得なければやっていけなかったのだろうか。彼らを完全に掌握できなかったのが悔やまれるというところなのか。 かといって、平家を倒した源氏も自身の子の代で将軍が絶え、あとは北条家に実権を握られることになる。その北条家も中で殺し合いをしているし、貴族化しようが武家のままであろうが、あまり関係ないのかもしれない。功労者には領地を与えると言っても、戦争が終われば功をあげる機会も

左翼的な活動をやる人とか、それに共感する人たち

個人的には理解できない。今日のBSフジの番組で、シールズの人とかが出ていたが、なんであんなことやってんだろうと思った。大学生にもなって、自分の頭で考えた結果があれなのか。 なんで自分たちがマイノリティなのか、真剣に考えたほうがいいのではないか。あんなに一生懸命やっていて、どうして共感する人が増えないのか。若者といっても、すでに就職してキラキラしているような人はまったく来てくれなくて、落ちこぼれているようなやつしか来てくれないのはなぜなのか。自分たちより年上の人は、かつての闘士みたいなの以外はまったく聞く耳を持たないのはなぜなのか。 周りがバカだと思ってるんじゃないか。仮に自分たち以外みんなバカだとして、どうするつもりなんだろう。バカは死ななきゃ治らない、そして自分たちの意見を通そうと思ってるんだったら、戦争になるよ。話し合いをするつもりなら、もっとバカに寄り添っていかないと。 あと、話し合いでなんとかするつもりなら、中国にでも北朝鮮にでもいって、武装解除でもさせてくれないものかね。マクロス7の熱気バサラみたいに。そういうことしないで日本だけで騒いでて、何かやってるつもりになっているのはダサい。ダサすぎる。活動家としても左翼としても三流すぎて恥ずかしい。

2ヶ月ぶりだがあまり変わっていない。

最近あまりブログを更新することがないが、なんでだろうか。日々感じるしょうもないことはメッセージとか、Facebookにちょこっと書いてしまっているから、あまりまとめて書く必要がないのかもしれない。その程度のことしか日々感じていないとも言える。たしかに、前回記事を書いたのは7月だが、気持ちの上で大きな変化があったわけではない。なんとなく、浮かんでは消え、浮かんでは消えていくような感覚はあるものの。 30代にどうなっていたいかを考えるためには40代にどうなっていたいかを考える。40代にどうなっていたいかを考えるには50代。最終的には、死ぬ時どうだったら後悔しないかを考えるといういつものパターンに落ち着く。それでも、死ぬ時後悔しない自分の生き方というのは大学時代と社会人2年目くらい、そして今とでは全然違う。去年こうだったからといって今年も同じとは限らない。だから常に考えて、更新し続けないといけないんだなと感じるようになった。一回では終わらない。だからといって、明日死ぬとしたら今日何するかという発想で生きる気はない。それを言い出したら、明日は絶対に働かない。明日は死なないと思っているから自分は働く。 今、自分で考えてる将来像というのは、そこそこいけてるんじゃないかと思ってしまうことがたまにある。いけているというのはプランそのものではなく、考え方が。でもそう思っているくせに、今の仕事で徹底的に考え尽くしているかというと、そうでもない気がする。今やってる仕事、突き詰めたらどういうインパクトがあるだろうか。起こせるだろうか。世の中から現金を一掃できる?そうしたら銀行強盗はなくなる?そういう感じの、自由な発想で一度でも自分の仕事を考えたことがあったか。今の仕事でできていないのに、まったくのゼロベースでものを考えるなんてできるのか、とも思う。結局自分もまだそのくらいなのだ。 いろいろやってみたいが、上にもいきたい。まあ、悩みなんてその程度なもので。