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12月, 2010の投稿を表示しています

仙台遠征と仕事と野球

今週は会社の野球同好会で仙台に遠征した。仙台の野球団の人たちとクリネックススタジアムでダブルヘッダー。ダブルヘッダーをやるなんていつ以来だろう。ダブルヘッダーは大学のオープン戦でやったけど、両方出場するってのは、下手したら高校以来なので5、6年ぶりになる。 野球団側には元プロの今関、山下勝充(今は楽天のJrチームのコーチらしい)がいて、135kmくらいのストレートを投げてた。軟式だと相当速い。しかもそれにスライダーもあってヤバイ。これだけ速い球をもっている人と試合で対戦するのは初めてかもしれない。でも両選手からヒットを打てたので、ちょっと自慢できるかも(しかも左打席で)。 仕事の方は、慣れてきた面もあるし、新たに課題が見えた面もある、という感じ。課題が消えたら新たな課題が現れるという繰り返しが続くんだろうと思う。確実に知識は増えているし、グループの人づきあいというか、皆の性格とかも徐々にわかってきて、3ヶ月前よりは前進していると思う。報告がまだ遅れがちだけど、それも自分の意識の問題だということがわかった。この遠征で。 野球をやっていた今までの10年間は、たいていのことは期限ギリギリまで「できる!」と言って努力していればよかった(主務業は違うけど)。でも会社の仕事って、遅れるかもしれないとわかった時点で言っておかないと、仕事を振った人が困る。ていうことは頭ではわかっているんだけど、「遅れそうです。どうしましょうか。」とか「締め切り遅らせてください」っていうのがどれだけ難しいか! 特に自分の場合、それができないということがよくわかった。「負け」だとも感じるし、「無能だと思われるんではないか」という不安もある。実際のところ、それを言う際に根拠を言えばいいらしいのだが、そういわれても不安なものは不安だ。なぜ不安なのかと考えて、「仮にそれをやったとき、仕事をくれた人がどう思うのかわからない」ということが原因だとわかった。 野球の場合、「積極的なミスはOK」という大きなくくり(許可みたいな)があり、「ゲッツーOK」「フライアウトOK」「でも見逃し三振はダメ」とか、何がダメで何がOKかがわかりやすい。根拠が明確だから選手もやりやすい。でも今はそうではなくて、「遅れそうならアラートをあげて」といわれるだけ。他に何もないから、すごくやりにくい。実際にあげたらどうなるのか、どういう言い

グラウンドにいる奴の気持ち

連投は美しくないが、内容が先ほどのエントリーと違うので分けて書くことにする。 今日は会社の野球同好会の試合だった。20代VS30代。とても面白い試合だった。自分もファーストでスタメン出場したし、ヒットにはならなかったけどいい当たりも打てたし、野球が楽しいと感じられた。というより、会社の野球同好会ではいつも野球が楽しい。 でもそれは言い方が間違っている。野球はそもそも楽しいものだし、自分も中学から野球を始めてずっと好きだ。それは大学でほとんど試合に出なくても同じ。ただ、野球そのものの面白さを大学4年間では感じていなかったのではないかと思う。少なくとも、大学2,3年のころは、毎週末東伏見に「野球をする」という意識では行っていなかった。4年になって、「一緒に戦っている」という風にはなった。でも、「野球をする」という気持ちになったことはなかった。で、やっぱりそれは苦しいことだった。毎週ユニフォームを着ることができて、グラウンドで声を出してボールを追いかけることができる。そしてバッターボックスに立ち、ピッチャーとの真剣勝負を味わうことができる。やっぱり自分はこれを求めていたんだと感じた。考えてみれば当たり前だ。プレーしたくない野球選手がいるわけない。そして自分が今バッターボックスに立つことを心底楽しみ、毎週末の野球を心待ちにしている状況を振り返って、まだ自分も野球選手だったんだなと安心する。大学4年間で、自分はすっかり野球選手ではなくなってしまったかのようだったから。 自分がプレーするようになってようやく、去年のレギュラーたちがどんなことを考えてプレーしていたのか、思いを馳せる余裕も出てきた。去年はそんなこと考える余裕もなかった。でも今なら考えることができる。結局のところ、グラウンドにいる奴の気持ちはグラウンドに立ってみないとわからないのかもしれない。自分はわかったつもりになっていたけど、しょせんは評論家に過ぎなかったのかもしれない。そう考えると悲しい。そう思われていたとは思わないが(みんな優しいし)。 でもそう思うなら、今後は絶対に評論家にはならないようにしないといけない。もう主務にもならない。一選手を目指すのだ。

11月までの感想

あと一ヶ月で社会人1年目が終わる。配属されてからはまだ3ヶ月しか経っていないが、研修を含めて1年という月日が流れたのは間違いない。この1年でどれだけ変わったのか、自分ではよくわからないが、たくさんの戸惑いがあり、試行錯誤を繰り返していたのは間違いない。 配属されてから一貫して気をつけているのは、「一旦は全て受け入れる」こと。自分が居る場所は大学ではないし、他の会社ともちょっと違う「ベンチャー」と分類される場所。だからそこに流れる文化は、今まで自分が過ごした慶應という環境とは全く違う。その文化の違いを認識し、理解しなくてはならないと思った。だから配属されてから見たこと聞いたこと、その他新たに知ったこと全てを一旦「そういうものか」と思うことにした。会社の仕事は自分の見えないところでもうごいてる。だから自分が疑問に思うこと、馬鹿らしいと思うことも、理由があってそうなっている可能性が高い。しかしそれをすぐに知ることはできないかもしれない。だったらわかるようになるまで、まずは保留という形で受け入れるのがいいのではないかと考えた。少なくとも、今の自分には会社で通用する自分のスタイルや、仕事のやりかたなんてものはないのだから。 しかし未だにもやもやが消えない。あと何年かしたら本当に自分で動けるようになっているんだろうか、と感じてしまう。確かに若い人が中心になって働いている職場だとは思う。やらざるを得ない職場環境がそうさせるのだろう。しかしそうなった後、自分はどうなるのだろうと思ってしまう。30代、40代の人が職場にいるが、自分と同じMTGに出て、自分と同じような作業をしている(作業量やレベルは全然違うが)。違うのは決定権と給料。なんというか、自分のイメージだと、40代なんかはもっと下々の人とは全然違う仕事をしているのかと思っていたが、そんなもんか、という感じで若干拍子抜けしたのが正直な感想だ。これが銀行とかだともっとそのギャップはでかいだろう。結局のところ、20代のころの仕事なんてのは、30代、40代以上の人たちの仕事を奪わないためのバッファーとしてしか存在意義のない場合があるからだ。 管理職になりたくない、と思う若手社員の気持ちがなんとなくわかった。これからの時代、課長や部長を狙うのはあほらしい。10年は修行だと思って力をつけ、社長を狙うほうが得策かもしれない。