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10月, 2013の投稿を表示しています

EOH リーダーシップと人材マネジメント基礎Day2 など

この10月からEOHを受講しています。私がリーダーになっているわけではないですが、それっぽい働きをしないといけないし、理論的なところを知っておいて損はないと思い受講を決めました。今日でDay2でしたが、なんというか、上司ってやることがたくさんありますね。。。弊社の上司たちは、自部署以外はわかりませんが、かなり訓練された上司が多い印象です。下の人間がばしばし辞めるからかもしれませんが、ある意味で上司として鍛えられる職場なのかもしれません。 今日のメインテーマの一つとして、個人のキャリアがありました。ある異動をもとにキャリアの危機を迎えた人がいて、その人はどうすべきか?というもの。クビ切り役は辛いです。自分がやりたかった仕事じゃない、こんなことをするために入ったわけじゃない。ありそうなシチュエーションです。しかし、じゃああんたがやりたかった仕事って何ですか?という風に思いました。そして自分にそういうのがあるのかよ?ということも。 社命だから異動を断ることはできない、というけど、断ることはできます。クビになるかもしれないだけで。でもじゃあ、クビが嫌で異動は全て受け入れて、その結果不本意な仕事をやるはめになって苦悩するって、仕方ないんじゃないのかと思いました。やりたい仕事をやる、ということと、クビにならない、というのはトレードオフになることもあって、もしどちらかをとるかということになった場合、どっちをとるか腹は決まってる?というのが大事なんだろうなあと。そりゃ今のご時世、簡単に正社員の地位を捨てるなんて頭がおかしいとは思いますが、そういう選択をしたことで、どういう結果を受け入れることになるのかというのがわかってないと後で困るってことなんでしょう。 城繁之さんのブログで紹介された、半沢直樹の大ヒットの理由として、「バブルの頃までは当たり前だった夢(島耕作のような)がなくなって単身赴任とか超過残業などのリアルだけが残った終身雇用の世の中で奮闘するヒーローだから」というのがありました。終身雇用を維持し、定年も延長しないといけない会社で最後まで働こうと思ったら近藤君みたいになるんだということ。でもそれだって、本人が選んでいるんだろ?という話。だって世の中には正社員になれないでバイトで生きてる人もたくさんいるんだから。そうはなりたくない。正社員で一生暮らしたい。でも難しい

押井守『勝つために戦え!』

26歳の1年間もあと3ヶ月を切りました。この1年はあっという間でしたが、去年の1年間よりももっといろいろとやったという気がします。イベントとしてもいろいろありましたし、自分の意識としてもいろいろ変わりました。意識だけ変わってもしょうがないんだという意見もありますが、意識が変わって行動も少し変わったのでいいと思います。 この1年で何が一番変わったかというと、「自分は人生で何をすれば幸せになれるか」という思考をするようなったという点です。去年までは、「このままやっていけば、いつか何かが見えてくるはず」という楽観的な思考をしていたのですが、去年の年末に「なんとなくやっていても見えてくることはない」という風に考え方が変わりました。なので「自分は人生の中で何をしたいか。何はいらないか。そして今、何をすべきか。」ということを今からちゃんと考えていかないといけないと思うようになりました。きっかけはいろいろありますが、この本が大きく影響したのは間違いありません。 勝つために戦え! 普通のことだとは思いますが、それまでは自分も「給料上げて、結婚して、あれもこれも買って、40,50歳くらいになったら偉くなって仕事もだんだんおさえめにして、最終的には悠々自適」みたいなイメージをもっていたわけですが、4年社会人をやっているとだんだんと世の中のことも自分の会社のこともわかってきます。この会社にいてどのくらい給料が上がりそうか、上にいけそうか、業界の将来性はどうか、異性にもてるかどうか、等々。他の会社のことも何となく耳に入ってくる(というか異業種に散った部活同期とかで飲むとそういう話にしかならないですね)。そうなると、今のままやって昔抱いていたイメージは実現できるのだろうか?という風に思い始めます。 もちろんここで、何が何でも実現してやる!という方向に進むこともできるのでしょうが、本質的にそういういけいけどんどんの性格ではないようなので、押井守の本とか読んだわけです。そもそも自分はそういうの本当に望んでいるのだろうか?もちろんないよりあるほうがいいに決まっているのだけど、世の中すべて優先順位、トレードオフなのだから、どれを捨ててどれを取るか?ということになる。そのとき自分は何を取るのかという話で、それはもう今から直面しているのだと感じました。いつか決断するものでは

森見登美彦と堀辰雄

比較ができるほど読み込んでいるわけでもないので単なる感想です。 森見登美彦は今回『有頂天家族』を読みました。以前『夜は短し歩けよ乙女』を読んで以来となります。結局有頂天も途中すっとばしながら読むということになりました。この作家は合わない、ということになるのでしょうが、もう少し理由を考えてみたいです。 森見登美彦の小説にはドラマがないように思います。この人は文章そのものと奇抜な登場人物がメインで、その登場人物が織りなす心理の変化とか、人間関係とか、そういうのはあまり得意ではないように思います。なまじ文章が特異だからそう思うのかもしれません。ただ興味がないだけかもしれない。しかし、文章だけを読ませたいならもういっそのこと詩でも書いたらいいのに、と思ってしまいます。有頂天でも狸とか天狗とかいろいろ出てくるけど、そういう化け物が考えること、直面することで、読者である我々におっと思わせることがあまりない。ただわちゃわちゃやっているだけという印象なんですよね。自分が書いてて楽しいのかもしれないけど。 これの後に堀辰雄『風立ちぬ』を読みました。映画はこれに、零戦の設計者の話をくっつけたというのは知っていましたが、まあだいたいの筋は同じなんじゃないでしょうか。主人公の男はもう少し女性を気遣っていましたが。 これなんかは文章は簡潔だし、個人的には好きな部類です。ストーリーは単純の極みっちゃ極みですが、主人公の男が病気で死ぬ運命にある女性をどう思っているのか、それを自分で追いかけていって、だんだん深まっていく、という流れになっています。なぜ俺はこの女をいとしく思うのだろう?という。説明調っぽい部分があるじゃねえかといえばそうなんですが、このくらいの時代の小説が、「人生とは」みたいなテーマを背負って立とうとしているあらわれといっていいんじゃないですかね。 自分の好みとしては堀辰雄ですが、なぜそうかと言えば、堀辰雄の方が今の自分に元気をくれるから、ということになります。なぜ?なぜ?と繰り返していって深みにたどり着こうとする行為を、小説を読むことで追体験できる。自分の人生だけでそれをやろうとすると気づいた時には遅すぎる、ということになりそうですが、小説を読むことで(畳の上の水練でも)予習になるというのは心が軽くなるというものです。 まあ森見登美彦だって、単純に狸とかの