インプットを増やそうと思い、最近は読書量を少し増やそうとしています。年末から少しずつ、いろいろな本を読むようにしてきました。今年は100冊本を読もうとしているので、それに弾みをつけるためにもこの連休中に追い込みます。
年末から読んでいたのは(小説も含んでいるのでなんとも微妙ですが)、
『僕の小規模な奇跡』
『女子高生ちえのMBA日記』
『会社再生ガール』
『猪瀬直樹著作集 日本の近代7 欲望のメディア』
『芸術企業論』
『近代芸術の五つのパラドクス』
『実況経営戦略教室』
『何でも見てやろう』
というところです。
ライトノベルもはいってますが、年末の飛行機の中で読むにはちょうどいいかと思って買ったものです。実際は冗長でそれほど読みやすくもなかったです。また、思ったより小田実の小説が面白かったです。純粋な海外紀行文だからでしょうか。政治色がついていなくてよかったです。
企業買収やMBAを題材にした小説はいまひとつでした。小説仕立てのため、どうしても小説としての面白さがないとしらけてしまいます。導入が雑だったり、心理の移り変わりに共感できなかったりするとどんどん読み飛ばしてしまいます。その道のプロなら誰でもそれなりの小説仕立て物語が書けるわけではないのだなと改めて知りました。黒木亮が唯一無二の存在であることも納得です。しかしこういった人たちは、アウトプットの一形式として小説を眺めたことはないのだろうか、とも思いました。まあないんだろうと思います。僕もないですから。
猪瀬さんの本は相変わらず面白いです。今は既得権の権化として知られているテレビ局が、草創期はどんなだったかを明らかにしています。どういう人の思惑があり、出来上がったころにはどういう人があつまっていたのか。現在は広告代理店も組んだがっちりしたシステムができあがっていますが、できたばっかりのころはけっこういい加減で、手探りでいろんなやつらが稼げた時代だったこともわかります。あるひとつの産業が興るとき、どういう風だったのかを知るのは、今のインターネット関連ビジネスを知る上でも役立つのではないかと思います。今のソーシャルなんとか、スマフォなんとかというのはまさにテレビ勃興期の熱気と胡散臭さに通じるのではないかと感じました。一生懸命儲かる仕組みを生み出そうとしているところが。僕は歴史ものが好きなので(歴史小説はそれほどすきではないのですが)、こういうのはいくらでも知りたいです。新しいものは常に古いものに似ていると思うからです。
入間人間の小説は、日記のようなものだと思いました。20代前半の若者が自分の少ない経験の引き出しをひっくり返して、乏しい語彙で味付けしただけのようなものに感じます。自分の経験からしかものを書けないと、日記にしかならないと思います。村上隆の言葉を借りれば、歴史の新たな解釈が必要になるんでしょう。
ライトノベルはあまり読みませんが、最近のアニメを見ていて思うのは、過去のトラウマネタが多いなということです。『僕の小規模な奇跡』も例外ではなかったです。いつまでそういうことやってるんだ、と思います。そんなもん、とっとと乗り越えて次へ行けよと思ってしまう。いつまでもいじいじして許される環境にいるんだろうな、と思ってしまう。
高校3年の夏休みに大学野球部のセレクションに行き、ペアでストレッチをやれといわれたときのこと。参加者は全国から来ていて、ペアを組もうにも知らないやつしかいない。皆まごまごしているのを見て当時のコーチが一言「さっさとペアつくれ!それも才能だ!」これを聞いて僕はふっきれた気がしました。そうだ、こういう力もないといけないんだ、と素直に思うことができたのを覚えています。
でも誰もがこれに近いことを言われているはずなんだと思います。それがひびくような環境にいないってことなんでしょうね。
年末から読んでいたのは(小説も含んでいるのでなんとも微妙ですが)、
『僕の小規模な奇跡』
『女子高生ちえのMBA日記』
『会社再生ガール』
『猪瀬直樹著作集 日本の近代7 欲望のメディア』
『芸術企業論』
『近代芸術の五つのパラドクス』
『実況経営戦略教室』
『何でも見てやろう』
というところです。
ライトノベルもはいってますが、年末の飛行機の中で読むにはちょうどいいかと思って買ったものです。実際は冗長でそれほど読みやすくもなかったです。また、思ったより小田実の小説が面白かったです。純粋な海外紀行文だからでしょうか。政治色がついていなくてよかったです。
企業買収やMBAを題材にした小説はいまひとつでした。小説仕立てのため、どうしても小説としての面白さがないとしらけてしまいます。導入が雑だったり、心理の移り変わりに共感できなかったりするとどんどん読み飛ばしてしまいます。その道のプロなら誰でもそれなりの小説仕立て物語が書けるわけではないのだなと改めて知りました。黒木亮が唯一無二の存在であることも納得です。しかしこういった人たちは、アウトプットの一形式として小説を眺めたことはないのだろうか、とも思いました。まあないんだろうと思います。僕もないですから。
猪瀬さんの本は相変わらず面白いです。今は既得権の権化として知られているテレビ局が、草創期はどんなだったかを明らかにしています。どういう人の思惑があり、出来上がったころにはどういう人があつまっていたのか。現在は広告代理店も組んだがっちりしたシステムができあがっていますが、できたばっかりのころはけっこういい加減で、手探りでいろんなやつらが稼げた時代だったこともわかります。あるひとつの産業が興るとき、どういう風だったのかを知るのは、今のインターネット関連ビジネスを知る上でも役立つのではないかと思います。今のソーシャルなんとか、スマフォなんとかというのはまさにテレビ勃興期の熱気と胡散臭さに通じるのではないかと感じました。一生懸命儲かる仕組みを生み出そうとしているところが。僕は歴史ものが好きなので(歴史小説はそれほどすきではないのですが)、こういうのはいくらでも知りたいです。新しいものは常に古いものに似ていると思うからです。
入間人間の小説は、日記のようなものだと思いました。20代前半の若者が自分の少ない経験の引き出しをひっくり返して、乏しい語彙で味付けしただけのようなものに感じます。自分の経験からしかものを書けないと、日記にしかならないと思います。村上隆の言葉を借りれば、歴史の新たな解釈が必要になるんでしょう。
ライトノベルはあまり読みませんが、最近のアニメを見ていて思うのは、過去のトラウマネタが多いなということです。『僕の小規模な奇跡』も例外ではなかったです。いつまでそういうことやってるんだ、と思います。そんなもん、とっとと乗り越えて次へ行けよと思ってしまう。いつまでもいじいじして許される環境にいるんだろうな、と思ってしまう。
高校3年の夏休みに大学野球部のセレクションに行き、ペアでストレッチをやれといわれたときのこと。参加者は全国から来ていて、ペアを組もうにも知らないやつしかいない。皆まごまごしているのを見て当時のコーチが一言「さっさとペアつくれ!それも才能だ!」これを聞いて僕はふっきれた気がしました。そうだ、こういう力もないといけないんだ、と素直に思うことができたのを覚えています。
でも誰もがこれに近いことを言われているはずなんだと思います。それがひびくような環境にいないってことなんでしょうね。
コメント
コメントを投稿