実際社会人になってみると、最初はエンジニアとしてついていくのに精いっぱいで、自分の軸とか今後どうしたいとか考える余裕はなかった。まずは今の職場で使える奴にならなければその先はないと感じていたし、その判断は間違っていなかっただろう。向いてないのではという予感はあったものの、ここで営業に転換するとIT企業に入った意味ないなと思い3年くらい頑張ることに決めたのだった。営業をやるならセンサー企業に行けばよかったわけだし。
で、最初の2年くらいの記憶はあまりない。とにかく、役に立とうと思っていろいろやった。今思えば細かい仕事ばっかりだったし、体よく細かい仕事を押し付けられた感はあるが、そのくらいのレベルだったしちょうどよかったのだろう。ただ新しい業務にチャレンジしようというのは常に意識していた。仕事に慣れてすいすいできるようになる状態がずっと続くのはまずい、と。
でも3年すぎるとさすがにエンジニアでやり続けるのは難しいなと感じた。興味がそっち方面に出てこないし、実力も他と比べると大したことないし。今後も続けられないとおもって転職活動をしてみた。当時コンタクトとったエージェントは、AWSをやたらと推してきたがAWSに強みのある人だったんだろう。ただ当時話をして言われたのが、あなたはOracleとかMicrosoftとか外資ベンダーでお客様相手にソリューション商売をするのがいいかも、ということ。ある意味、今の仕事に通じるものがあるし、方向性としては今とそこまで変わっていないのかもしれない。
でも面接に行ったのはグリーだったけど。で、グリーは当時成長中だったがガチャ問題もあり採用は厳選していて、今の自分ではエンジニアは無理とあっさり言われる。でも面接官が元弊社の人で、残ったほうがいい、そこでキャリアを積んだ方がいいと強くいってくれ、(少し)救われた。と同時に、「ああ今の自分では外にも出られないんだ」「外に出てキャリアチェンジではなく、中でやらないと自分の行きたい方向にはいけないんだ」と強く思わされたのだった。ふつーに一生懸命仕事してるだけじゃダメで、自分が将来どうなりたいかを自分でわかっていないとそもそも進みたい方向なんかわかるわけないし、今どうすべきかも決められないんだということなんだけどグリーの面接で落ちるまで分からなかったんだなー。あれは4年くらい前だったか。この面接がきっかけで、自分が将来どうしたいのか、というのを真剣に考えようと決めたのだった。それでも縁あって今の部署に来ない?とオファーがあった時にすごく迷ったけど。エンジニアではなくなることで市場価値が減るのでは?と。(エンジニア界隈では書けない人間は無価値だ!的な原理主義が今でもはびこっているのだ)とはいえ、今自分がかけるわけでもないし、今後かける人間になりたいわけでもないので最終的にはえいやで飛び込んでしまった。
その前の年にイーグルスの日本一があって、自分でもいろいろ思うところあり。いつまでも勝てない場所であがいているのではなく、勝てる場所で思い切りやりたい!そして日本一みたいな栄光をつかみたい!と単純に思った。もう縁の下の力持ち、控え選手的なのはいいのではないだろうかと思った。一応エンジニアも4年やったし、これが次の部署でも生きるだろう、と楽観的に考えることにした。なんだかんだ、役に立っている。それ以上に、新しい部署では0から何でも吸収してやる!と謙虚にやったのがよかった。自分の行きたい方向に行くにはここで頑張るしかないのだ!というのが効いたのかもしれない。あのグリー面接から3年以上たち、花開いたといえなくもない。そしてその面接官の方はあの面接から今日までですでにグリーを辞め、その次の会社もやめて別のIT企業にいるらしい。そんな業界なんだよな。
で、自分も今に至る。
で、最初の2年くらいの記憶はあまりない。とにかく、役に立とうと思っていろいろやった。今思えば細かい仕事ばっかりだったし、体よく細かい仕事を押し付けられた感はあるが、そのくらいのレベルだったしちょうどよかったのだろう。ただ新しい業務にチャレンジしようというのは常に意識していた。仕事に慣れてすいすいできるようになる状態がずっと続くのはまずい、と。
でも3年すぎるとさすがにエンジニアでやり続けるのは難しいなと感じた。興味がそっち方面に出てこないし、実力も他と比べると大したことないし。今後も続けられないとおもって転職活動をしてみた。当時コンタクトとったエージェントは、AWSをやたらと推してきたがAWSに強みのある人だったんだろう。ただ当時話をして言われたのが、あなたはOracleとかMicrosoftとか外資ベンダーでお客様相手にソリューション商売をするのがいいかも、ということ。ある意味、今の仕事に通じるものがあるし、方向性としては今とそこまで変わっていないのかもしれない。
でも面接に行ったのはグリーだったけど。で、グリーは当時成長中だったがガチャ問題もあり採用は厳選していて、今の自分ではエンジニアは無理とあっさり言われる。でも面接官が元弊社の人で、残ったほうがいい、そこでキャリアを積んだ方がいいと強くいってくれ、(少し)救われた。と同時に、「ああ今の自分では外にも出られないんだ」「外に出てキャリアチェンジではなく、中でやらないと自分の行きたい方向にはいけないんだ」と強く思わされたのだった。ふつーに一生懸命仕事してるだけじゃダメで、自分が将来どうなりたいかを自分でわかっていないとそもそも進みたい方向なんかわかるわけないし、今どうすべきかも決められないんだということなんだけどグリーの面接で落ちるまで分からなかったんだなー。あれは4年くらい前だったか。この面接がきっかけで、自分が将来どうしたいのか、というのを真剣に考えようと決めたのだった。それでも縁あって今の部署に来ない?とオファーがあった時にすごく迷ったけど。エンジニアではなくなることで市場価値が減るのでは?と。(エンジニア界隈では書けない人間は無価値だ!的な原理主義が今でもはびこっているのだ)とはいえ、今自分がかけるわけでもないし、今後かける人間になりたいわけでもないので最終的にはえいやで飛び込んでしまった。
その前の年にイーグルスの日本一があって、自分でもいろいろ思うところあり。いつまでも勝てない場所であがいているのではなく、勝てる場所で思い切りやりたい!そして日本一みたいな栄光をつかみたい!と単純に思った。もう縁の下の力持ち、控え選手的なのはいいのではないだろうかと思った。一応エンジニアも4年やったし、これが次の部署でも生きるだろう、と楽観的に考えることにした。なんだかんだ、役に立っている。それ以上に、新しい部署では0から何でも吸収してやる!と謙虚にやったのがよかった。自分の行きたい方向に行くにはここで頑張るしかないのだ!というのが効いたのかもしれない。あのグリー面接から3年以上たち、花開いたといえなくもない。そしてその面接官の方はあの面接から今日までですでにグリーを辞め、その次の会社もやめて別のIT企業にいるらしい。そんな業界なんだよな。
で、自分も今に至る。
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