スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

休み中

先々週からひいてしまった風邪がなかなかよくならない。のどの痛みがなくなったのでましにはなっているが全快ではない。ちゃんと寝てはいるのだが足りないのだろう。 3連休はひたすら本を読んで過ごした。東京都現代美術館の「ゼロ年代のベルリン」展には行ってみたが、やはりああいうものへの興味は既に失われていると感じた。世の中を変えるのは芸術ではなく商売だと思う。意図はわかるが効果はどうか。結果は出ていてもコストに見合っているか。そういう風に見られるようになったからだと思う。「で、結果は?」 デザインの本も多少読んだ。問題解決のためのデザインというのはSFCでよく見たテーマである。でも在学中から違和感を覚えていた。そんなにいいものならなぜ世の中のスタンダードにならないのかと。デザインはすばらしいが何かのせいで世の中に普及しないのなら、その何かを明らかにして取り除くべきだ。俺たちはデザインの専門家でそういうのはビジネスの人がやってくださいというのはアマチュアの言い草だ。 話は変わって、最近会社でちょっと話題になっていた「あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない」を1話だけ見た。たぶん続きはみないだろう。日本のアニメそのものに興味がなくなってきた。これだけ同じようなものを生産してそれなりに売れている(のかはわからないが)のは、お金を払っているのが同じ人ということだ。裾野が広がっていない。アニメに限らず日本のコンテンツと言われるものは、邦画もそうだけど皆後ろ向きだからあまり好きではない。批判を受けつつも市場を開拓してどかどかと海外進出までしているジャニーズやAKB48だけがすごいと思う。すごいものなら売れるはず。売れないのはすごくないからだ。 個人的な目標として、来年は中国語、ドイツ語の勉強を始める。ドイツ語は第2外国語だったからだが、中国語はやはり今後必要になってくる(とアドバイスされた)から。上層部がそう思っているのなら、チャンスをつかむためにも習得しているべきだ。個人のキャリアを考えても、海外で働いたことがあるというのが大きな武器になる時代が来る。日本のIT企業が海外進出を加速させるのなら、そういう経験のある邦人が足りなくなるからだ。現地人だけで仕事をまわすことはできない。かならずパイプ役が必要になる。 パイオニアになるために努力しよう。ITは道具にすぎない。でも開拓できる市場はきっ...

英語

最近英語のことばっかり考えている気がする。一応プログラマーなのでプログラミングをしたり関連本を読んだりした方がいいのだが、それ以上に今は英語を勉強した方がいいと思っている。理由はそうしないと人間以下の扱いしか受けない時代が来ると思うから。 成毛さんが本出したり、それ以前から「英語がはなせても仕事のできない奴は云々」みたいな説を得意げに披露する人がいたりするけど、それは英語がまだ特別なスキルだった時代の話。これからはブラインドタッチができるくらいの感覚でTOEIC700程度は求められると思う。給料があがるあがらないとかの話ではなく、そのくらいやれっていう話でしかない。実際、ちゃんと自分の現状を分析してきちんと勉強していけば700は絶対いけると思う。 TOEICは足切りのツールとしてこれから効果を発揮していく気がする。英語の力ではなく、ちゃんとお勉強ができるかどうかという意味で。TOEICはマークシート形式だし、スピーキングもないし、英語力をはかるツールとしては欠陥が多い。でもテストだから、傾向と対策をきちんと行えば点はある程度あげられる。それを決められた期間できっちり実行できる奴かどうか、要するにお勉強ができるかどうかをはかるには絶好のツールになると思う。その程度のTOEICで苦しむなんてのは嫌なので、一生懸命勉強していたということ。でも今後はその程度のテストのスコアでチャンスをつかめるかどうかが変わってくるのだ。だって今後、インターネットの分野で世界に戦いの場を移していこうって時に、その程度のテストができないで大丈夫なの?という風に思われてしまうから。技術力はすごいし技術への熱意はある。でも英語はできない。そしてTOEICはやりたくない。でも世界に出たい。そんなアホなことがあるかと。熱意があるならTOEICくらいやれと。そう思われてしまうんではないか?実際今自分の会社では少しずつ社員を海外に出しているけど、(当たり前だが)TOEICスコアが足切りに使われていた。TOEICは熱意をはかるテストでもある。じゃあやるしかない。 自分としては、ライバルは少なければ少ないほどいい。そもそも技術者としてずっと生きていくかもわからないのだから。それでも日本だけで働くつもりがないことだけはたしか。だったら英語をやっておこう。技術のトレンドはドッグイヤーでも、英語は変わらない。だった...

週末

この週末はちょっとゆっくりして、たまっていた本を読んだり英語をやったりしようと思う。ちょうど天気も悪いし、来週はITリーグのオールスター戦と東京バンバータ戦が続くので、それに向けて体力をためておかないと。8月は全力で遊んだので、9月最初の週末は休んでもいいだろう。 7月のTOEICで目標を大幅に越えたので、8月は英語をいっさいやらないと決めていた。9月になったので再開しているが、やはりシャドーイングは難しい。全然できていなくてもTOEICのリスニングはあがったが、これからはもっとできるようにならないと喋れるようにならないな。口が完全にフリーズしてしまう時が結構ある。これじゃあダメだ。何度も繰り返してトレーニングしないと。でもだいぶ向上してきた。得意な音と苦手な音もだんだんわかってきた。子音のTが苦手だったが、だんだん良くなっている。簡単なようで難しい。日本語のタ行とは全然違う音だということを、いかにスルーしてきたか痛感する。 話は変わって仕事の話。自分のやりたいように、やりやすいように物事を動かすためには根回しが必要。当然なんだけど。政治力を鍛えないといけない。白を黒に見せる力が必要だ。 ところで仕事のストレスというものを今まで自分は勘違いしていたらしい。本当にストレスがかかっていると、家に帰ったらほっとして機嫌がよくなるそうだ。家に帰って不機嫌でいるうちは本当のストレスは知らないらしい。

9月が始まった。

中長期のプロジェクトに入ると疲れる。それに加えてどうも兼務がつく可能性が浮上してきた。もっと疲れそうだけどいい機会だからがんばろう。なぜ疲れるかって、わからないことを手探りでやっているからに加え、指示も明確ではないのでこっちが明確にする必要があるので疲れる。指示が明確でないのは仕事の性質上仕方がない面もある。全員がノウハウ少ない中でやっているからだ。 でも何をすべきがすべてわかっているのなら、正直言ってやる必要のない仕事だ。全部書き出してアルバイトにやらせればいい。手探りでノウハウを貯めながらやるからこそ社員の仕事になる。今の自分が想像もつかないようなこと以外は、この1、2年はやる必要ない。自分がわかることをやっても今の自分以上にはなれない。 学生の頃は時間がたてば立場も変わって役割も変わった。でも今は意識的に自分を変化させていかないとずっと留年だ。想像もつかないことばっかりやるべきだ。自分のスタイルを貫くために努力して、自分を変え続けなければいけない。 1年後の自分は今と同じ地平線上にいてはいけない。今は見えないところにいなければいけない。スキルをつけるだけじゃなく、考え方、見え方も変わっていないといけないのだ。

日本語力を鍛えたい

英語を使う機会が増えて、英語を勉強するようになって感じるのは、日本語をちゃんと勉強しなければいけないということ。使えているようで使えていない。仕事の場で母国語として使うレベルではない。意識して鍛えないと、どんどんなまっていく気がする。使う機会がないから。 英語はそもそも母国語ではないから、まだそこまでのレベルにいってなくてもいい(点が取れていれば)。でも日本語はそうではない。TPOに応じて、本当は言葉遣いも言い回しも口調も変える必要がある。でもそういうことを意識しなくてもいい環境にいる。恵まれているとも言えるし、後で苦労するとも言える。後者の労をとりたくないので今勉強している。本を読めと親世代が言うのはこういうことかと思う。どういう文を言えばいいのかわからない。自分の中にストックされているものが少なすぎる。 せめて考えている時の言葉と言う時の言葉を完全に分けることは身につけたい。思い浮かぶままに喋るなら赤ちゃんと一緒だ。でも今はそういうことをしがちだし、そうしてもとやかく言われない環境だ。ここで鍛えるのは大変そうだがちゃんとやりきらなければいけない。そうじゃないとみっともない大人になる。恥ずかしい。 みっともないと何がいけないか。上を落とせない。下がついてこない。自分を証明するのがその人が出した成果なら、言葉はリアルタイムで放出される成果だ。それがみっともなければ、仕事の成果も推して知るべしだ。がんばろう。

疑問を持つ力

疑問を持つというのは誰でもできるようで、そうでもないということを最近感じている。疑問そのものは誰でも持つが、何にどういう疑問を持つかということが難しい。面白くもないことに面白くない疑問を持ってしまうのが一番いけないが、一番やってしまうことだ。そうすると最悪で、くそつまらない至極当たり前な結論が導きだされる。「ああ、聞かなければよかった」という。 BSの野球解説で、伊藤勤さんがオリックスの2年目捕手について「一年目はコーチや先輩にいわれたことを実践するだけでいいが、2年目3年目からはそれに疑問を持ち、自分の考えを出していかないといけない。そうでないと伸びない。」みたいなことを言っていた。スポーツの世界にはそのような暗黙の了解があるのかもしれない。まずやってみて、それから判断しろ。ただしそのためには常に考えていろ、みたいな。指導者側にもそうやって伸びたという意識があるから、新人が最初は右も左もわからなくても当然だと思っている。そこから少しずつ疑問を持つ力のある選手が育っていく。 何に対して疑問を持つのか。どういう風に疑問を持つのか。目のつけどころと問いのたて方。これは技術だから鍛えないと伸びない。でもどうすれば伸びるのか、誰も教えてくれない。ロジカルシンキングとかは本があるが、それは問いが立ってからの話。結局のところ、過去に立てられた面白い疑問を探して、その経緯を調べていくしかないのかもしれない。 自動車のスズキでは社長にそういう力があったらしい(うろ覚えだけど)。車体を軽くするために話し合っていて、「エンジンを取り外そう」と言ったとか。さすがに実現しなかったのは今のラインアップを見ればわかるが、エンジンはどのくらいの重さがあるのか、外しても自動車として成り立つのか、というようなことを発想できなければ出てこない。 作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんは、『ジミーの誕生日』の中で「夜の焼夷弾はなぜ美しいか」という問いを立てている。そういう記述がいろいろな文献に見つかるからだが、そもそもの問いが面白い。しかも調べると、焼夷弾の構造にいきつく。油に浸された欠片が筒におさめられていて、投下されると筒が破裂し、着火した欠片が燃えながら落ちてくるという。だから火の雨がふっているように見えるとか。この疑問がなければ構造を調べることにはいきつかない。 翻って、...

夏休み明けの仕事は辛い

いや本当に。仕事で辛いというより、休みが恋しくて辛い。体力的に無理と思ってやらなかったことも多かったが、なぜやらなかったんだろうという後悔が襲ってくる。来年の夏はもっと遊んでやろうと誓う。 しかし今週は新鮮な目で自分の仕事を見、感じることができた気がする。長くはなれていたせいか、浦島太郎的な感覚を味わっているのかもしれない。前からなんとなく感じてはいたが、うまく言葉にできなかっただけかもしれない。休みを経て変わるというのは、灰谷健次郎『兎の目』の女性教師を思い出させる。特に強く感じたのは以下4つ。 1. 知識より知恵が欲しい。 2. 報告、連絡、相談を要求するのはパワハラではないか? 3. 聖人君子はいない。 4. 大企業に行く学生はやはり優秀(多義的に)。 1. 開発をする上で、技術的な知識のなさで止まっていることも多いが、それ以上に、問題を解決する手段を知らないせいで止まっていることの方が多い。例えば、どうやっておかしなコードを見つけるのかということ。firebugでhtmlを展開していけばいいとか、とりあえずvar_dumpをおかしそうな変数で入れてみればいいとか、そういったこと。こういうのは研修では習わなかったけど、絶対に必要だろうと思う。というか1年前から思っていたらやはり現実になった。「なんとなく知っていて、手も微妙に動く」という状態より、「よくわかんないけど、手は動かせる」という状態になっていた方が「仕事」はできる。それじゃいけない時期はくるんだろうが、少なくとも今はそういう状態になりたい。車の仕組みを知らなくても運転はできる。 2. 何を知りたいのかは上司の方が知っているんだから、こっちに空気を読ませるよりそっちが聞いた方が早いと思うのは、学生気分が抜けていないのか。報告しろ、相談しろと言われても、何を言えばいいのかわからない。それより定期的に聞いてくれた方が、こっちも何をどういうタイミングで言えばいいのかわかり、そのうちお互いに幸せな状況になるのに、と思う。どうやら中国ではそうらしい。みんなそうなれ。 3. 会社をどう見るのかによるが、僕は会社は烏合の衆、寄り合い所帯だと思っている。そこには聖人君子は存在しないし、いても迷惑だと思う。だから皆が同じ方向を向いて、同じ気持ちで戦うなんてことは幻想で、腹の内では探...