平成21年度春季東京六大学準硬式野球リーグ戦で優勝しました。10勝2敗の勝ち点5。完全優勝で終わりました。優勝は27年ぶり、春季優勝は57年ぶりだといいます。長い。今頃みんなはまだ遊んでいるでしょうか。僕にはそんな体力はありません。思い切り喜ぶ力すら残っていないということなのだろうか…
誰かが「あんまり嬉しくない」といっていたけれど、その気持ちも十分わかる。出ていないから。主体的に関わっていた人間(つまり試合に出た人間)だけが、結局のところ一番の喜びを享受できるのかもしれない。それはどうにもできないことだけど、優勝したがために置いてきぼりをくらったような、取り残されているかのような感覚に陥る気持ちはわかる。でも、そんなこと言ってたら勝負事はできないんだよな…
負けることは恥ではないから、レギュラーになれなくともそれは恥ではない。試合に出られなくとも、ベンチ外がレギュラーより各下ということではない。自分自身はわかっていても、それをレギュラーが理解しているかどうか微妙だから余計むかつくというのが昨年までの慶應だった。「俺らのために働け」という特権意識が透けて見えたから。そんなチームが勝てるわけねえだろ。
ところが自分はそんなチームに主務として仕えていたわけだ。苦しくないわけがない。でも、やはりあの日々がなければ今のチームはこうはならなかっただろう。今のチームは決して新チーム開始時点からスタートしたわけではない。1年のときからずっと続く時間軸の上にちゃんとのっている。昨年の反省も活かされている。だから、今のチームには自分の力も活かされている。
こう書くとひねくれているみたいだけど、そうではない。自分が全く何もしていないように感じるか、何らかの形で貢献していると感じるか、それは自分で決めることができるということ。自分の評価は自分でできる。現実の認識は自分で決められる。今シーズン、自分は試合にも出ていないし主務もやっていないが、自分なりに貢献してきたと胸を張っていえる。誰も認めないかもしれないが、自分は最大限の努力をしたと断言できる。認めない奴がいたら、ぶっとばしてやりたい。
まあこんなこと感じているうちは、まだまだ修行が足りないんですがね。
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