一度考え始めると止まらなくなるのが、僕の悪い癖(杉下右京風)。
相変わらず同じことを延々と考え続けております。就職活動でも短所といって述べてきた「考えすぎる」悪癖ですが、なんとかならないものか…といっても、だからといって「考えるより前に走れ!」「何も考えずに走れ!」「考えるより行動だ!」的な思想は拒否反応なんですけどね。リクルート無理じゃん。やっぱりキーエンスじゃん。キーエンスの人事部の人は的確だな。さすがリクルートOB。
それはともかく、改めて昨日からのことを考えるとこう思いました。「人を『育てる』なんておこがましい」と。
人は勝手に育つもの。先輩やコーチにできるのは、せいぜいアドバイスをするくらいのもの。だから過干渉はいけない。過保護はいけない。でも、それを理由に放置するのもまた違う…
迷ったときは勝手に尊敬している瀬谷ルミ子さんのブログを読もう。以下引用。
個人でも国家でも、
「どうありたいのか」
というビジョンがなければ、目標も立たない。
目標がなければそこに進むまでのルート検索もできない。
したがってルートの選択肢もそろえられず、行き止まりになった時に
右往左往してしまう。俯瞰してみることができないから。
そして、
「どうありたいのか」ということは、どう見られたいのか、
またはどう見られても構わないのか、という
第三者視点と切り離せない気がする。
そのビジョンを示すのは、誰?
その答えは、「どこかの誰か」ではないことを認識した時に
分かるのかもしれない。
一方、待っているだけでは、しょせん他人事なのかもしれない。
「時代が求める救世主」とやらも、「時代」に生きる「人々」が
求めなければ生まれないのだと思う。
本気で変えたい、変わらなければと思わない限り、
変わらないものなのだと思う。
国家も、個人も。
http://ameblo.jp/seyarumi/theme-10006873440.html
自分はどういう先輩になりたいだろうか。自分はどういう人間になりたいだろうか。嫌われない人間?尊敬される人間?違う。それらは全て結果。尊敬されるのは結果であって、目標にするものではない(と自分は思う)。困難があっても、自分の思う道を進める人。しかし現実と向き合い、折り合いをつけられる人。矛盾しているかもしれない。でも人生なんて矛盾だらけ。このくらいの矛盾を抱えていたって、生きていけるはずだ。
↑デル・ベセル著『ベースボール・ハンドブック』 コーチングを学ぶのに最適な本。
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