今日は授業も部活もない珍しい一日なので、これから東京経済大学へ瀬谷ルミ子さんの講演を聞きに行こうと思う。昨日の深夜にユーゴスラビア崩壊のドキュメンタリーを見て、不条理や理不尽に対する思いが再びメラメラと燃え上がってきたので、不条理と戦うのが仕事である人の話を聞くことは大きな意義があると思う。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演したとき、茂木健一郎に「武装解除という仕事をしていて、不条理を感じることはありませんか?」という質問をされ、「ありますが、一番感じているのは現地の人々ですからね。」と答えていたのが、とても印象に残っている。人並みの正義感がある人なら、どう考えても良い方法とは思えないのにいつまでも争いが終わらず、女こどもが虐殺されるという泥沼の状況に対し、怒りを覚えるだろう。しかし、外部から来ている立場の人間がその状況に怒りを覚えるというのはお門違いなのであって、あくまで外部の人間という客観性を持ち、冷静な立場でことにあたらねばならないということだろう(こんなに簡単なことではないだろうが…)。
ブログを見れば彼女も昔から超人並みの精神力を持っていたわけではないらしいということがわかるが、現在はまさに超人のような精神力と行動力をもって武装解除に当たっている。自分たちが武装解除に当たったにも関わらず、数ヶ月後に民衆が再び武装勢力に合流したり、政権が変わったりすることは、一体どんな気持ちがするのだろう。プロフェッショナルでは「何のためにこの仕事をやっているのか」と感じたと言っていたが…。今の自分にその感情は理解できるだろうか。
瀬谷さんがプロフェッショナルで言っていた中に「ここならギリギリ自分達は争わなくて済む、というラインを探す」というのが武装解除の目標であるというのがあった。武装解除というのは住民達の心を「争いはいけない。平和が大事。」という風に作り変えることではなく、超現実的な妥協案を提示することだというのだ。Win-Winの関係であり、「戦争ではない状態」を作り出すことである、と言えるだろうか。しかし、心の中にある「紛争をなくしたい」という思いと、目指す方向性とのギャップは大きい。瀬谷さんはどういう気持ちでいるのだろう、どういう風に整理しているのだろうと思う。
僕なんかもレベルは違えど、体育会という理不尽と不条理の中で主務として活動したので、なんとなくわかる点はある。「なぜ主務という仕事をやっているのか」と思ったこともあるし、「最後っ屁をかましてやめてやろうか」と思ったことも数多くある。しかし、変革をもたらすためには、自分に正直であるだけでは駄目なのだということを学んだ。辞めてしまっては駄目なのだ。たとえ最初の希望とは違っても、変えられるまで走り続けるべきなのだということを学んだ。きっとこれが僕の「達成動機」なのだろう。
何かを成し遂げようと思ったら、達成動機は絶対必要だ。主将しかりコーチしかり、今のチームで目立つ人はだいたい達成動機が高いように思う。そうでなくては何かを成し遂げるなんて不可能だ。彼らにとっては理屈ではない。「こうしたい。だからやろう!」そういう強いドライブがかかるのだ。
頭では色々考えて理屈をつけても、一歩を踏み出せない人は結局達成動機が低いのだと思う。やらない理由・困難である理由ばっかり言う人がその典型。やらない理由が10000個あったって何もならない。それがわかっているのにやれないのは、結局自分に「やりたい!」という動機がないということを知って欲しい。
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