人の悩みを聞いていると、自分に置き換えて考えるようになる。自分はどういう時に辛いか、どういう時に楽しいか。過去を振り返って、いつが苦しかったか。今、何が楽しくて何が楽しくないか。
今一番楽しくないのが、残念ながら研究会の活動になってしまっている。自然言語処理という学問分野はたしかに面白いし、世の中で応用を利かせることもできると思う。その意義は十分わかるのだが、自分の興味分野とギャップがあるように思う。こういう技術系の発想って、あまりにも世の中のニーズに鈍感な気がするんだよな…
自然言語処理が有効な分野というのは、例えば検索エンジンだろう。またブログ分析において、筆者が何を意図して書いているのかを構文解析なんかを用いてある程度把握することができる。前者の場合、「美味しいビールが飲める店」というキーワードからそのような店を検索表示するシステムがつくれれば、より精度の高い検索エンジンがつくれるとは思う。しかしこれからは、そもそも情報を能動的に集める習慣のない人にいかにアプローチできるかではないのだろうか。今検索エンジンを使っている人は、検索エンジンの性能がどうあれ、策を講じて何とか知りたい情報にそこそこたどり着いているのではないか、と思う。
後者の場合はそもそも自然言語処理で何とかなる問題とも思えない。。意味づけ論とか語用論とか、ソシオセマンティクスだとか様々な学問分野があるが、そもそも人は言葉を額面どおりに使うわけではない。意味は情況によって規定されるので(だから皮肉や隠喩などが成り立つ)、自然言語処理にそれが理解できなければ、現在自然言語処理が掲げている目標を達成することはできない。
こんな感じで、完全に壁にぶち当たってしまった。誰か僕の悩みを救ってください…
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