6限にあった小熊英二「近代史」のテストはまあ大丈夫だと思う。3つの問題から任意の2つを選んで記述するものだが、3つのうち2つが重点的にやっていた箇所だったので助かった。教育と戦後体制だったかな。解答用紙の表裏を使ってしっかり書いてやりました。Bはカタイと思われる…。よかった、あきらめなくて。
もともと歴史が好きだったということもあるけど、歴史というのは理解しやすい科目だと思う。なぜかというと、「なぜこうなったのか?」という問いに対する答えが納得しやすいから。小熊先生は歴史を社会問題の根源を知るために必要だと仰っていたけど、社会問題を考える際、歴史というのは決定的な証拠になる。因果関係が明確。だから納得できるように思われる。「なぜ日本の中等教育はよくわからないことを教えているのか?高校って必要なのか?」という問いに対し、小熊先生なら「初等教育と高等教育との間に置く適切な機関をつくれなかったから、仕方なく大学の予備校的な位置づけで大学を薄めたような教育をしているんだ」と答える。感情的に納得できないかもしれないが(特に美しい答えを求める人なんかは難しいかも)、これが真実だ!という圧倒的なものがある。だから歴史は好き。そこに至るまでの苦悩とかが匂いで伝わってくるような気がするから。
逆に数学なんかはそういう匂いが全然ない気がする。確かに美しいとは思うし、ビシっと答えが出ることもわかる。でも、数学ってのは基本的に「こう決めた!」というルールに基づいて考えるものだから、目の前にある問題と、ルールを用いてだした答えの間に厳密な意味で因果関係はないように思えてしまう。そもそも1mという単位だって恣意的なものだし(フランス革命の一事業としてタレイランという議員が提案している)。まあこれは数学じゃない(理科)けど、定義、定義、定義、定義だらけの数学や理科ってのはどうしても好きになれなかった。それを当然のように受け入れ、教えている教員も理解できなかった。少しは疑えよ!と。
なぜ2次方程式が必要なのか?なぜベクトルが要求されたのか?どこで行列が使用されるのか?その由来とかを知りたかったのだけど、数学の授業って絶対それをやらない。どこに使うかもわからないものを、「必要だから」という理由で教えるのって、左翼的な言い方をすれば権力の暴走だよね。で、なぜこんなわけのわからないことになっているのかといえば、日本にはもとから中等教育で何をするのか決まってなかったから、ということになる。歴史によって理由がわかるわけだ…
どうせ2次方程式とかベクトルとか教えるのなら、航空工学とかも一緒に教えてくれればやる気も出るのにね。何のためにやってるのかわからない勉強を6年間もやり続けるなんて、日本人は我慢強いと思いますよ。
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