自分の持てるものを全て人に与えてしまったらどうなるのだろう。実際に「全て」はありえないと思うけど、知識やスキルなど言語化できるもの全てを与えてしまい、個性としての知識・スキルが残らなかったら?自分には何があるのだろう。
それが「技」なのかもしれない。今の自分に「技」はあるだろうか。
それがわからないから、左の頬を素直に差し出せないのかもしれない。
ちなみにこの格言は色々解釈があるらしく、単純な無抵抗主義ではないらしい。そもそも右利きの人間が多いなかでなぜ最初に打たれるのが右頬なのか?というところから始まり、実は右の手の甲で殴られているのでは、という解釈もあるとか。手の甲で殴るというのは古代のユダヤでは相手を自分より下に見る侮辱行為であるという。しかしそこで左の頬を差し出せば、次は返す刀で右の手のひらで打つしかなくなる。これは相手を対等に見ることを意味し、最初の侮辱を取り下げる意味を持つというのだ…実に深い。。
非暴力でありながら単に打たれっぱなしではない、より強硬な抵抗の意志を示せということか。
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