今日のカンブリア宮殿は長谷川久夫さんという方がゲストだった。茨城県にある野菜直売所?の「みずほ村市場」社長だそうで。元々長谷川さんも農家だったらしく、農家出身者が農業経営の新しい形を生み出しているというわけ。今日の話は「継続は力ではない。力は進化だ。ただ継続していたってダメだ。」「品質で勝負するんだ。今までの野菜は結局品質で勝負してこなかった。」「農業生産者だったからダメだった。農業経営者にならなければならない。」というように、農業という産業そのものを問い直すセッションだったため、村上龍さんも興奮していた。「今、顧客ニーズは何かと言っている企業は全部ダメ。」みたいに、思い切りぶちあげていたのが印象的だった。
なぜ長谷川さんはこれができたのだろう。やはり自分が農家をやっていて、今の農業はおかしいと思ったのが原因ではないだろうか。自分の身に起きた強烈な体験からしか感じられないことって絶対にある。長谷川さんは農家だったからこそ、農業のおかしさを感じ、あるべき姿を真剣に考え、実行に移せたのだと思う。もちろん行動できたのは長谷川さんの特質であり、彼をオンリーワンにしている要素ではあるのだけれど。
ほとんど執着と言ってもいいくらいその事業について考えられなければ、そこに革命を起こすことはできないのだと思う。しかもただの革命では流血の惨事になってしまう。長谷川さんが強調していたのは「信頼関係」ということ。ここならおいしいものが買える、高いけど品質は裏切らないという客との信頼。ここなら儲けられる、でも手は抜けないという農家との信頼。そこに関わる全ての人を巻き込み、全ての人を「あるべき姿」に連れて行こうとする試みは、勝ち逃げできればよいという心理では絶対に通用しない。見抜かれてしまうからだ。そこまでできるのは、長谷川さんにとって農業が人生を賭ける価値のあるものだからだろう。でも本人はそんなことすら意識していないのだろうな。やるのが当然と思っているはず。
OKの社長もそうだし、今回の長谷川さんもそう。そしていつか出ていた理化学研究所の社長もそうだが、「こうあるべきだ」という強い理想を持つ人というのは、あまり我が強くないし、決して出たがりではない。自分の偉さを誇示せず、重要な役職も人に任せていたりする(メガネの21の創業者もそうだった。社長は持ち回りらしい!!)。俺が俺が!というトップだと、理想を実現することと、自分が中心にいることを分けることができない。理想の社会が実現するとき、自分がその中心にいないと気がすまない。自分の手で実現させなきゃ嫌だというのでは、本当に世の中を変えていくことはできないのだろう。個人の力は限られている。自分がどんなに優秀でも、全体の総和以上になることはないのだから。
父に指摘されて若干悲しくなったが、ベンチャー企業創業者なんかは皆そうなのかも。自分が気に入るかどうかじゃない。それはどうあるべきか?こそ真に問うべきだし、それ以外に問う必要はない。
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