部内失業中の自分にとって、部活中に黙っているのは非常に難しいことです(後輩に話しかける、ということね)。何か言いたくてたまらない。言いたい衝動に駆られてしまう。これは好意からくるのではなく、苦痛から解放されたいがための行動なのだと思います。俺を理解してくれ!というね。底の浅い親切心ですらない、押し付けの感情を見せるわけにはいきません。
自分の尊敬する先輩は、社会の一員として働くことを「喜び」と表現しました。程度の差はあれ、そうなのかもしれません。少なくとも、全体の一部として機能したくともできない状態に比べればよほど。仕事が忙しい時期は自分にもありましたが、忙しくしたくてもできない、力を出したくても場がない悲劇に比べれば、忙しいなど屁でもないことです。活力がみなぎっているからね。今は生ける屍です。
大人になるって、一面ではこういうのを受け入れることなのかもしれません。許せること、受け入れられることが増えていくということ。他人に依存せず、過度な期待をしないこと。変えられることと変えられないことを知り、やりたいこととやるべきことを区別できること。そしてやりたいことを見失わず、やるべきことを必ず遂行すること。まあこれができてれば完璧な大人でしょうね。
他人に理解を求める今の自分は承認強盗です。これが部活の人じゃなかったら理解してもらおうなんて微塵も思わないのにね。部活の中には理解者が欲しいなんて、一体何が心残りなんだろうか。
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