■投資について
いくつかの大学院の資料を取り寄せてみました。MBAだと2年間で150万~260万というところか。もちろんパートタイムです。他にもいくつか。時間をやりくりすればできそうに思えますが、あとはどういう授業をやるかでしょう。
人生において最も意味のある投資先は自分なんだそうです。どういう形で投資をするのかは人によって違うのでしょうが、自分は知識や能力に投資したい。仕事だ けでは身につけられない力を向上させて、有意義な30代以降にしたい。自分を成長させるにはより厳しい環境に身をおくことが必要だと思いますが、そのため にはそれなりの力がないといけないと思うからです。今はストレスとか厳しさはあるけど、結構余裕を持ってやれている。一度、もっと負荷をかけてみたいと 思っています。やらされるのではなく、自分の意思で。
■コミュニティ活動について
高校野球部のOB会や試合観戦、高校の授業ボランティアの集まりなどに行ってきました。OB会で副会長にも言われましたが、こういう活動は基本的にメリットはありません。でも、いつか何かのかたちで返ってくるのだと。目に見えるメリットを求めていたらこんなことはできない。もちろん自分はそうではないからやっていると言えます。自信過剰のように聞こえますが実際そうだから仕方がない。
準硬式のころからこういう活動をしていたから、あまり抵抗がないのかもしれませんが、違う世代とかかわっていくのは学びがあって面白いです。もちろん、勉強的な意味だけで学びがあるのではないです。
新しい世代を通じて未来が見えるような気がするから面白いんだろうなと思います。逆に上の世代は、彼らを通じて過去を知ることができるから面白い。いろいろなレンズを通じて世の中を見ると新たな発見がある。それ自体が面白いからやめられないという感じでしょうか。
あとは人の縁ですよね。結局、新しい人、コミュニティ、世界が広がっていって、そことかかわれるようになることが面白い。
■最近考えたこと
社会人になってふと思うのが、自分がこのまま40代、50代と歳を重ねていって、仕事も辞めたとき、その後何が残るのか?ということ。
夫婦であるかもしれない。家族がいるかもしれない。家や車があるかもしれない。でもそれって、永遠ではないんだよな。夫婦の縁ですらも。家族もそう。
そう思ったとき、はかないものに対して一生懸命になるのは、あまりいい人生の送り方じゃないような気がしました。特に持ち家とか、車とか、そういうのに対してがんばるのって、何か違うのではないかと。結局毎月の給料がそれに変わっただけ。
まあ夫婦や家族というのは違うかもしれない。でも、それすら維持に失敗して崩壊したところが身近にあると…(まあそれは夫婦や家族という関係性を家電とかみたいなもんだと思っているところに問題がありそうだ)。離れたら生きていけないという理由だけで一緒にいるっていうのは、一回しかない人生として良いものだったんだろうか、と思ってしまう。だからといって、「最後に一花咲かせたい」とか言ってしまうのもどうかと思うけど。
社会人になると、20代も40代も60代も同じ線上に並ぶ。だから同じことを考えられる。どう生き、 どう死ぬか。譲れないものは何か。どうでもいいことは何か。もちろん霞を食って生きていけるわけではないから、FP的なことも考える必要がある。
そういうのを考えた上で、自分の人生、いい家に家族ですむことが理想なのか?という風に考えるようになりました。高校生を見ていてね。
いくつかの大学院の資料を取り寄せてみました。MBAだと2年間で150万~260万というところか。もちろんパートタイムです。他にもいくつか。時間をやりくりすればできそうに思えますが、あとはどういう授業をやるかでしょう。
人生において最も意味のある投資先は自分なんだそうです。どういう形で投資をするのかは人によって違うのでしょうが、自分は知識や能力に投資したい。仕事だ けでは身につけられない力を向上させて、有意義な30代以降にしたい。自分を成長させるにはより厳しい環境に身をおくことが必要だと思いますが、そのため にはそれなりの力がないといけないと思うからです。今はストレスとか厳しさはあるけど、結構余裕を持ってやれている。一度、もっと負荷をかけてみたいと 思っています。やらされるのではなく、自分の意思で。
■コミュニティ活動について
高校野球部のOB会や試合観戦、高校の授業ボランティアの集まりなどに行ってきました。OB会で副会長にも言われましたが、こういう活動は基本的にメリットはありません。でも、いつか何かのかたちで返ってくるのだと。目に見えるメリットを求めていたらこんなことはできない。もちろん自分はそうではないからやっていると言えます。自信過剰のように聞こえますが実際そうだから仕方がない。
準硬式のころからこういう活動をしていたから、あまり抵抗がないのかもしれませんが、違う世代とかかわっていくのは学びがあって面白いです。もちろん、勉強的な意味だけで学びがあるのではないです。
新しい世代を通じて未来が見えるような気がするから面白いんだろうなと思います。逆に上の世代は、彼らを通じて過去を知ることができるから面白い。いろいろなレンズを通じて世の中を見ると新たな発見がある。それ自体が面白いからやめられないという感じでしょうか。
あとは人の縁ですよね。結局、新しい人、コミュニティ、世界が広がっていって、そことかかわれるようになることが面白い。
■最近考えたこと
社会人になってふと思うのが、自分がこのまま40代、50代と歳を重ねていって、仕事も辞めたとき、その後何が残るのか?ということ。
夫婦であるかもしれない。家族がいるかもしれない。家や車があるかもしれない。でもそれって、永遠ではないんだよな。夫婦の縁ですらも。家族もそう。
そう思ったとき、はかないものに対して一生懸命になるのは、あまりいい人生の送り方じゃないような気がしました。特に持ち家とか、車とか、そういうのに対してがんばるのって、何か違うのではないかと。結局毎月の給料がそれに変わっただけ。
まあ夫婦や家族というのは違うかもしれない。でも、それすら維持に失敗して崩壊したところが身近にあると…(まあそれは夫婦や家族という関係性を家電とかみたいなもんだと思っているところに問題がありそうだ)。離れたら生きていけないという理由だけで一緒にいるっていうのは、一回しかない人生として良いものだったんだろうか、と思ってしまう。だからといって、「最後に一花咲かせたい」とか言ってしまうのもどうかと思うけど。
社会人になると、20代も40代も60代も同じ線上に並ぶ。だから同じことを考えられる。どう生き、 どう死ぬか。譲れないものは何か。どうでもいいことは何か。もちろん霞を食って生きていけるわけではないから、FP的なことも考える必要がある。
そういうのを考えた上で、自分の人生、いい家に家族ですむことが理想なのか?という風に考えるようになりました。高校生を見ていてね。
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