先週会社で、新卒4年目を迎える社員に向けての研修がありました。それまでの3年を振り返るのと、これから4年目以降という中堅に入っていく上でどうしていくべきかという座学を受けました。一言でいえば、中堅社員として組織に貢献するには?ということ。その研修を受けている中で、フォロワーシップというのが出てきたのですが「その考え方は外国籍の社員や中途入社にはひびかないのでは?」と質問しました。特に中国の方に顕著な気がしますが、彼らは将来どうなるかわからない国で生きてきたせいか、目先の利益や自分の感情をかなり優先するように思います。そういう人に対し、フォロワーシップを発揮して組織に貢献せよというのは難しいのではないかと聞きました。そんなことしても明日どうなるかわからないのだからね。
それについては上の方からも説明をうけて、制度的に解消していく方針だということだったのですが、自分が驚いたのはこの質問をする際に、「組織で自分の目的を達成したり、自己実現を果たそうと思ったら組織に貢献しなければいけないというのは日本人にはしっくりくるが、そうでない国の人にはどう伝えていけばいいのか?」と聞いたことでした。自分の口から「自己実現」という単語が出てきたことに驚きました。だってこの考え方こそ、会社に入った時にとても違和感があったものだったはずだからです。 会社員の自己実現って何だ?という。
でもそれが3年経ってみて、なんとなくわかってきたという気がしているのです。それはリクルート的な「夢の実現」という意味での自己実現ではありませんでした。夢とか希望とかそういうことではなく、いつの日か自分の人生を振り返って、どうなっていれば後悔しないか?どうあってくれれば満足か?ということです。
話は変わりますが、ギレルモ デル トロの『パンズ・ラビリンス』を観て、「ああ、やりたいことをやるというのはこういうことなのか。自己実現というのはこういうことか。」と思いました。デル トロはハリウッドでも映画を撮りますが、『ブレイド2』みたいなアクション映画、アメリカでニーズのある商業映画をきっちり撮ります。そこでも自分の味は出していますが、あくまでハリウッドでは商売として映画を撮る。そして本当に撮りたいテーマはメキシコやスペインで撮る。ここらへんの分析は押井守がやっている通りだと思いますが、完全に使い分けているそのやり方を見て、「ああ、そういうやり方もありなのかもしれないな」と思ったのです。
自分は今日本で最大のECを提供する会社にいて、そこで日本一のマーケティングツール、購買促進ツールと化したポイント関連のサービスを提供する部署にいます。アプリを書いたりprjのハンドリングをしたり、インフラ設計をしたり色々していますが、やりがいを感じるのはこのサービスが世の中に与える正のインパクトがでかいからです。明らかにこのサービスは世の中を便利にしていくだろう、消費者にとってメリットが大きいだろうと感じているからこそ、社内の技術レベルは今ひとつとかdisられても居続けようと思います。そういう大義を感じないからこそ、ソーシャルゲーム業界には今ひとつ魅力を感じないし、仮にスカウトされても行かないと思ってしまいます。でもギレルモ デル トロの仕事ぶりを見ると、そうじゃなくてもいいかもしれないなと思うのです。
技術的なチャレンジがあるならソーシャルゲームでも行けばいい。そこで最先端の仕事ができるなら、給料が高いならいけばいい。ハリウッドでの仕事だと思えばいい。実際ニーズがあるのだから、自分の物差しで測りきれなくてもいいのではないか?という。
でもそうなるとはたと思い当たるのが「じゃあ自分にとって、スペインで撮りたい映画は何か?」ということ。「ソーシャルゲームがハリウッドだとして、自分にとってのパンズ・ラビリンスは何だろう」と考えてしまいました。
自分はそういうことをあまり考えていませんでした。会社の方針にうまいことフィットしていたため、考えなくてすんでいたのでしょう。でもそんな状態でも、いつかは出て行くだろうということは考えていた訳です。それはハリウッドで仕事をするために、です。
ハリウッドで仕事をして成功すれば、お金も名誉も手に入るし、プライドも相当満足させられるでしょう。精神的な安息ももたらされそうです。でも自分はそれだけあればよかったんだっけ。今の仕事はそれを得るためにあるんだったっけ。お金とか名誉とかって、そもそも何のために欲しいと思ったんだっけ。家?車?成功者と思われたい?もしくは自分で思いたい?そういうのって、物差しを誰かに預けることだとわかっていなかったっけ?しかもハリウッドって、一生戦っていける場所だったっけ?そもそも生き残るのが難しい世界で、そこに入れば終わり・上がりでは決してない。マッキンゼーに転職してそこでゴールにならず、エグジットが必要になるように(出るか、残るかは別にして)、自分に置けるハリウッドでも、どういう形でエグジットするかは絶対に考えておかなければいけない。今の会社からどこか別のところにいって、それで全部終わり!にはならない。
今、割と一生懸命勉強にも時間をかけていながら、一番肝心なゴールが曖昧になっていたことに気づいて愕然とします。ゴールから考えろと会社でもあれほど言われていながら、人生のゴール、人生の勝利条件についてやっぱり考えていなかった。自分の人生に「勝った」と言うためには何をしておけばよかったのか。
今はまだ、ハリウッドで戦うためのスキルを磨いている段階です。まだハリウッドで勝負できていない。 まだブレイド2など全然撮らせてもらえない。会社に思い切り利用されるくらいにならないと、自分も会社を思い切り利用して毒を忍ばせるなんてマネはできない。しかもまだ、自分はどんな毒を混ぜたいのかということもわかっていない。
会社を離れた場所での人生の勝負は、やってみたいこと(まあようするに遊びとか、コミュニティをつくっとけということだけど)を残さずやっておきましょうということにつきる。旅行に行きたいなら行きましょう。海にいきたいなら行きましょう。ヨガをやりたいならやりましょう。続けるのが無理ならやめればいい。どうせ時間はいつまでたってもできない。これは割とできている気がする。問題はやはり仕事の場での勝負か。
石や油を掘る仕事だったり、書類をつくる仕事だったりと違い、今の仕事は世の中の変化の最前線に位置しているラッキーなものだ。ここになんとか自分の足跡を残したい。 起業家のような気持ちで日々の業務に取り組まなければね。
それについては上の方からも説明をうけて、制度的に解消していく方針だということだったのですが、自分が驚いたのはこの質問をする際に、「組織で自分の目的を達成したり、自己実現を果たそうと思ったら組織に貢献しなければいけないというのは日本人にはしっくりくるが、そうでない国の人にはどう伝えていけばいいのか?」と聞いたことでした。自分の口から「自己実現」という単語が出てきたことに驚きました。だってこの考え方こそ、会社に入った時にとても違和感があったものだったはずだからです。 会社員の自己実現って何だ?という。
でもそれが3年経ってみて、なんとなくわかってきたという気がしているのです。それはリクルート的な「夢の実現」という意味での自己実現ではありませんでした。夢とか希望とかそういうことではなく、いつの日か自分の人生を振り返って、どうなっていれば後悔しないか?どうあってくれれば満足か?ということです。
話は変わりますが、ギレルモ デル トロの『パンズ・ラビリンス』を観て、「ああ、やりたいことをやるというのはこういうことなのか。自己実現というのはこういうことか。」と思いました。デル トロはハリウッドでも映画を撮りますが、『ブレイド2』みたいなアクション映画、アメリカでニーズのある商業映画をきっちり撮ります。そこでも自分の味は出していますが、あくまでハリウッドでは商売として映画を撮る。そして本当に撮りたいテーマはメキシコやスペインで撮る。ここらへんの分析は押井守がやっている通りだと思いますが、完全に使い分けているそのやり方を見て、「ああ、そういうやり方もありなのかもしれないな」と思ったのです。
自分は今日本で最大のECを提供する会社にいて、そこで日本一のマーケティングツール、購買促進ツールと化したポイント関連のサービスを提供する部署にいます。アプリを書いたりprjのハンドリングをしたり、インフラ設計をしたり色々していますが、やりがいを感じるのはこのサービスが世の中に与える正のインパクトがでかいからです。明らかにこのサービスは世の中を便利にしていくだろう、消費者にとってメリットが大きいだろうと感じているからこそ、社内の技術レベルは今ひとつとかdisられても居続けようと思います。そういう大義を感じないからこそ、ソーシャルゲーム業界には今ひとつ魅力を感じないし、仮にスカウトされても行かないと思ってしまいます。でもギレルモ デル トロの仕事ぶりを見ると、そうじゃなくてもいいかもしれないなと思うのです。
技術的なチャレンジがあるならソーシャルゲームでも行けばいい。そこで最先端の仕事ができるなら、給料が高いならいけばいい。ハリウッドでの仕事だと思えばいい。実際ニーズがあるのだから、自分の物差しで測りきれなくてもいいのではないか?という。
でもそうなるとはたと思い当たるのが「じゃあ自分にとって、スペインで撮りたい映画は何か?」ということ。「ソーシャルゲームがハリウッドだとして、自分にとってのパンズ・ラビリンスは何だろう」と考えてしまいました。
自分はそういうことをあまり考えていませんでした。会社の方針にうまいことフィットしていたため、考えなくてすんでいたのでしょう。でもそんな状態でも、いつかは出て行くだろうということは考えていた訳です。それはハリウッドで仕事をするために、です。
ハリウッドで仕事をして成功すれば、お金も名誉も手に入るし、プライドも相当満足させられるでしょう。精神的な安息ももたらされそうです。でも自分はそれだけあればよかったんだっけ。今の仕事はそれを得るためにあるんだったっけ。お金とか名誉とかって、そもそも何のために欲しいと思ったんだっけ。家?車?成功者と思われたい?もしくは自分で思いたい?そういうのって、物差しを誰かに預けることだとわかっていなかったっけ?しかもハリウッドって、一生戦っていける場所だったっけ?そもそも生き残るのが難しい世界で、そこに入れば終わり・上がりでは決してない。マッキンゼーに転職してそこでゴールにならず、エグジットが必要になるように(出るか、残るかは別にして)、自分に置けるハリウッドでも、どういう形でエグジットするかは絶対に考えておかなければいけない。今の会社からどこか別のところにいって、それで全部終わり!にはならない。
今、割と一生懸命勉強にも時間をかけていながら、一番肝心なゴールが曖昧になっていたことに気づいて愕然とします。ゴールから考えろと会社でもあれほど言われていながら、人生のゴール、人生の勝利条件についてやっぱり考えていなかった。自分の人生に「勝った」と言うためには何をしておけばよかったのか。
今はまだ、ハリウッドで戦うためのスキルを磨いている段階です。まだハリウッドで勝負できていない。 まだブレイド2など全然撮らせてもらえない。会社に思い切り利用されるくらいにならないと、自分も会社を思い切り利用して毒を忍ばせるなんてマネはできない。しかもまだ、自分はどんな毒を混ぜたいのかということもわかっていない。
会社を離れた場所での人生の勝負は、やってみたいこと(まあようするに遊びとか、コミュニティをつくっとけということだけど)を残さずやっておきましょうということにつきる。旅行に行きたいなら行きましょう。海にいきたいなら行きましょう。ヨガをやりたいならやりましょう。続けるのが無理ならやめればいい。どうせ時間はいつまでたってもできない。これは割とできている気がする。問題はやはり仕事の場での勝負か。
石や油を掘る仕事だったり、書類をつくる仕事だったりと違い、今の仕事は世の中の変化の最前線に位置しているラッキーなものだ。ここになんとか自分の足跡を残したい。 起業家のような気持ちで日々の業務に取り組まなければね。
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