グレートアジアンビジネスパーソンになるための準備は着々と進んでいます。最近は新宿駅の中国語アナウンスや同僚の中国人社員の会話の中に少しずつですがわかる単語が出てきました。進歩の実感が得られるとやる気が高まりますね。
異動してもうそろそろ1年になろうとしており、時間のすぎるのは早いなと思わされます。異動してきて、きちんと評価されるために何事かをしようと真面目に考えるようになりました。本当に遅い。これまではあまりにも給料が上がらないから真面目に考えてこなかったのかもしれない。それで済んだので。でもこっちでは上にも行く可能性があるのだから真面目にやろう。それに、中堅社員として一皮むける必要がある。もうスピードややる気だけで勝負する段階ではないと感じます。
私の強みは他者のモチベート力と文才らしい。でもどちらも自分で意識したことはないです。そういうのが強みというのでしょうが。文才をどう仕事に活かすかというのは難しいですが。。。そうでもないのかしら。
強みだとか評価だとかは前から考えていたことではありますが、今改めて考えているのはこんな記事を読んだからです。外資系OLのぐだぐだ というブログの
「圧倒的成長」ができる会社で頑張ったら、転職できなくなっていた。
転職エージェントの常套句だろとか、どこでも通用するスキルって何だよとか、会社の文化に適応することは成長と違うのか?などツッコミどころはあるのでしょうが。それは置いておいて、自分が素晴らしいかどうかは自分が判断しなくてはならないと気づいた筆者は、結局自分のことを素晴らしいと思えるようになったのか?と思いました。
成長論とか汎用的なスキル論は炎上しやすい話題だと思いますが、個人的には、どこでも通用するスキルというのはあるけど、だからこそそれ自体はたいしたことないものだと思うし、成長というのは何かができるようになること(ある文化への適応も含めて)でしかないと思っています。自分か素晴らしいかどうかは自分の判断軸、評価基準、勝利条件のみで評価できるもので、そこにスキルとか成長が入っているならそうなんじゃない、という感じです。
でもこの文章を読むと、外資(てどこか知りませんが)で成長したいと飛び込んでくる人はかわいそうな人、目の開けた私から見るとね、みたいな意識を感じます。そりゃお前が合わなかっただけで、単なるミスマッチだよと言いたい人は多そうです。外資でハードワークしている人は本気でそれが好きで、必要でやってるかもしれない。自分の判断軸が確立したからって、人も同じだと思わないほうがいいと願うばかりですね。感覚ですけど、外資とかハーバードとかそういう意識高い系バックグラウンドを持って、その後独立とか転職した方々は、そういう傾向多い気がします。地頭はいいのにそういうところはわからないのかな、と。
外資系企業にも、ハーバードスタンフォードにも、海外放浪にも、NPOにも、理想的な生き方、働き方があるわけではないって皆わかってるはずなんですけどね。それを理想的な生き方にしたやつだけが勝ち組です。それは1年2年のスパンじゃわからないでしょうが、偽物はかならずボロがでるでしょう。それが理想ならごちゃごちゃ言いません。他人に説明もしません。
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