人は役割を与えて育つ、みたいな言葉があるが、その通りじゃないかと最近感じる。
リーダー、マネージャーのような役職があって、普通はそれに適した人材になって初めて昇格する。
でも、ヒラのままだと上位職でどういう人間になればいいのか、やっぱりわかんないんだよな。やってみて初めて分かることが多い。そこで初めて自分が何をしなければいいのかわかるし、本当に適性があるのか見えるのではないかと思う。やってみて、やっぱり向いてないっていうのを自分で痛感するのと、下で悶々とするのでは大違いだ。
今のチームはわりとそこらへん厳格で、まだダメ、まだ足りないみたいな感じでなかなか上にいけない。(実際足りてないんだろうが)でも、下の立場で上のパフォーマンスまでふつう出せないっすわ。給料違うのに上の仕事ぶりを求めるの?て思うし、実際のところ、上の人が何考えて何やってんのか、全然わからない。うちだけかもしれないが。
スポーツの世界だと、けっこうこの辺は正反対な気がする。ポストを与えてしまって、本人の変化を促すみたいな。ダルビッシュも高校時代は孤高のエースだったけど主将に指名されて、それで結構大変だったけど頑張って成長した、みたいにテレビで見たし。各プロ野球球団の選手会長とか主将もそうだよね。まだまだ若手なのにそういう立場に指名して、自覚を促してる。力は足りてないのをわかっていてやらせる。そういうのがストレッチじゃないかと思うんだけど。
会社でやろうとすると、圧倒的にポストが足りないのかな。
そして交代とか降格の仕組みをつくらないと、管理職50%以上だったかつてのソニーみたくなってしまう。でもそのチャレンジはしていかないと、いつまでも若手は下っ端、外野、野党根性が抜けないんじゃないかな。もう野党ではいられない!あなたが当事者なのだ!というためには、圧倒的に当事者にするしかないと思うのは俺が極端なのかな。昇格とかポストが結局既得権になっている間は、ヒラは会社を渡り歩くだろうなー。
リーダー、マネージャーのような役職があって、普通はそれに適した人材になって初めて昇格する。
でも、ヒラのままだと上位職でどういう人間になればいいのか、やっぱりわかんないんだよな。やってみて初めて分かることが多い。そこで初めて自分が何をしなければいいのかわかるし、本当に適性があるのか見えるのではないかと思う。やってみて、やっぱり向いてないっていうのを自分で痛感するのと、下で悶々とするのでは大違いだ。
今のチームはわりとそこらへん厳格で、まだダメ、まだ足りないみたいな感じでなかなか上にいけない。(実際足りてないんだろうが)でも、下の立場で上のパフォーマンスまでふつう出せないっすわ。給料違うのに上の仕事ぶりを求めるの?て思うし、実際のところ、上の人が何考えて何やってんのか、全然わからない。うちだけかもしれないが。
スポーツの世界だと、けっこうこの辺は正反対な気がする。ポストを与えてしまって、本人の変化を促すみたいな。ダルビッシュも高校時代は孤高のエースだったけど主将に指名されて、それで結構大変だったけど頑張って成長した、みたいにテレビで見たし。各プロ野球球団の選手会長とか主将もそうだよね。まだまだ若手なのにそういう立場に指名して、自覚を促してる。力は足りてないのをわかっていてやらせる。そういうのがストレッチじゃないかと思うんだけど。
会社でやろうとすると、圧倒的にポストが足りないのかな。
そして交代とか降格の仕組みをつくらないと、管理職50%以上だったかつてのソニーみたくなってしまう。でもそのチャレンジはしていかないと、いつまでも若手は下っ端、外野、野党根性が抜けないんじゃないかな。もう野党ではいられない!あなたが当事者なのだ!というためには、圧倒的に当事者にするしかないと思うのは俺が極端なのかな。昇格とかポストが結局既得権になっている間は、ヒラは会社を渡り歩くだろうなー。
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