大学時代は体育会だったこともあり、大企業に入ってエリートサラリーマンをやるというのが将来像だった。というか違う姿で働いている人がほとんどいなかった。自営業とかそういうのが。
転職とかしている人がいても、せいぜい外資系金融とかだった。他にはMBAいったりとか、言ってもキラキラした世界で坊ちゃんが想像する世界の範疇だった。今だったら、東京カレンダー的な、という形容ができるかもしれない。父親が商社マンとしては珍しい経歴ではあったものの、やはり自分の就職先も商社なんじゃないのとも思っていた。(しかし血は争えないということなのか、サラリーマンとはいえかなり自由度が高く経営陣に近い仕事ぶりを間近で見ていたことも有り、そういう仕事がおもしろそうだという気持ちはずっとあったみたい。)
商社がいいなと思ったのは、いろいろなことをやっていて飽きずに働けそうと思ったから。エネルギーやって、ライフスタイルやって、みたいなことができるかなーと思っていた。実際は全然できないらしいとわかっても意外といけるんじゃない、位に思っていた。思っていたというか、そう思おうとしていただけかも。体育会野球部(別の部)の先輩で、三菱商事に入ったはいいもののブロッコリー担当になって云々、という話を聞いてまあ給料はいいんだろうけど、俺のやりたいことはブロッコリーの輸入なのか?と思ったことも違和感を覚えたきっかけかも。インドネシアで海老とかね。世の中の役には立っているけど、世の中の仕事はだいたい何らかの形で役には立っている。その中で、お前はどれで役に立ちたいのか?っていうことなんだけど、そこでモヤモヤし始めていた。
広告代理店はどうか、という風にも考えたけど(体育会から代理店はベタだ)、なんかこう、その仕事のためにその働き方は合理的なの?という印象はずっとあった。靴でビールを飲むとか、ネクタイ切られるとか。今だったら先輩に連れられてラーメン屋いって券売機のメニュー全部押されるとか。
それに耐えることが年収1000万なの??という感じで。それでいて、なんかこうすごいことやってんだ感を押し出してくる社員。いやすごいのはあんたの胃袋とメンタルだねとは思いつつも、それで仕事力は上がっているのかしら?という疑問はぬぐえず。
じゃあコンサルとかはどうなのよと思ってベタにBCGとかベインのセミナーにもいったが、なんか役人みたいだなという印象だった。頭いい人たちの集団っていうか。開成→東大の延長戦っていうか。医者からBCG、大蔵省→MBA→ベインとか。当時英語ができなかったので始めからあんまり真面目にうけていなかったが、こういう中で争ってもなーという感じはした。問題を解いてる感がすごかった。
かといってメーカーは惹かれなかった。サントリーとかトヨタとか。なんでだろう。ビールも自動車もあまり興味がないから?そこで自分がどういう力がついて、どういうキャリアがつめるかっていう視点で見ればいい点たくさんあっただろうけど商品視点でしか見なかったな。それを他の業種にも当てはめればよかったのに。P&Gなんかも、洗剤屋はいいですって感じで全然興味なかった。P&Gなんかはそこで成長しますよみたいなことをさかんにいうけど、その先はなんなの?何があるの?という思いがあった。
いざ自分が就職活動を始めてみて、やはり悩んだ。当時はインターンのはしりが始まった時代で、
せいぜい1日ではあったものの大企業のも結構いった。しかし行けば行くほどなんかあまり楽しそうじゃないなと思っていた。自分で考えて何かするというのができるまでの時間が長すぎる、という感じ。これも今思えばそこにひっかかかっていたというのがわかるけど、当時はわからなかった。違和感があっただけで。で、IT系の若い会社のインターンなんかにいってみると、やっぱり面白い。自分がSFCだったからというのもあるが若い人たちが世の中に挑戦しているというエネルギーに満ち満ちていた。GREEがまだヒルズに移る前にインターンをやったが、CFOだった青柳さんに飲み会で「こういう若い会社に入って楽しいのは、ここにいる人みたいな優秀でエネルギー高い人たちと一緒に働いて、何かやれる!という気持ちになれること」みたいなことを言われ、ああそうだよな、と思った記憶がある。GREEは結局選考を受けなかったものの、気持ちの上では一番惹かれていたかもしれない。だからこそ、その後の商社やら広告代理店やらの選考で気持ちが入りきらなかったのかも。言い訳だが。世の中の常識をひっくり返したい。こんなに世の中には不便やおかしいことがあふれているのに、なんでなくならないのか?こうすればいいのでは、こうしたら楽しいと思うことがいっぱいあるのに、なんでやらないんだろう?というのがたくさんあった。大学の部活ではその思いでいろいろやって、結果につながった。社会人でも当然そういうことがしたい、と素直に思っていた。でもできなそうだった。高い給料は我慢代なのかとも思った。
そんな風にもやもやしていって、結局最後には今働いているIT企業と高収入のセンサー企業が残った。センサー企業は文句ない企業だったけど、自分は一生センサーを売り続けたいのか?と自問自答したとき、嫌になって辞めた。そういう働き方をしている人はこれまでもいっぱいいたし、この後もどんどん続いていくだろう。だったら、そういうのが好きな人に任せておけばいいんじゃないかと思った。先輩に働いている人が居ない、どうなるかわからない方に人生賭けてみようと思った。
まあ、今思えばそうはいってもだいぶお堅い企業ではあったが、7年前はそれでも得体のしれない感じはすごかった。
振りかえってみると、自分がSFCであるというのが結構軸になってたのかも。インターネットを中心とした授業にしてたし。でも富士通とかNTTじゃなかったのは、組織としても新しいところが世の中を変えるっていう刷り込みがあったからかもな。
当時はサイバーエージェントなんかが伸びてきたところだったけど、先輩方は皆電通が本気出したらイチコロみたいに言っていた。確かにそうかもしれないとは思った。でも実際はそうならなかった。電通は本気になれなかったし、それ以上にサイバーら新興企業がドーンと成長してしまった。電通は結局ネット広告では主導権を握れていないし、商社も自身でwebサービスは創出できていない。結果的に、自分の7年前の決断はまあ間違ってなかったわけか。
就職してからの話はまた今度整理して書こう。
転職とかしている人がいても、せいぜい外資系金融とかだった。他にはMBAいったりとか、言ってもキラキラした世界で坊ちゃんが想像する世界の範疇だった。今だったら、東京カレンダー的な、という形容ができるかもしれない。父親が商社マンとしては珍しい経歴ではあったものの、やはり自分の就職先も商社なんじゃないのとも思っていた。(しかし血は争えないということなのか、サラリーマンとはいえかなり自由度が高く経営陣に近い仕事ぶりを間近で見ていたことも有り、そういう仕事がおもしろそうだという気持ちはずっとあったみたい。)
商社がいいなと思ったのは、いろいろなことをやっていて飽きずに働けそうと思ったから。エネルギーやって、ライフスタイルやって、みたいなことができるかなーと思っていた。実際は全然できないらしいとわかっても意外といけるんじゃない、位に思っていた。思っていたというか、そう思おうとしていただけかも。体育会野球部(別の部)の先輩で、三菱商事に入ったはいいもののブロッコリー担当になって云々、という話を聞いてまあ給料はいいんだろうけど、俺のやりたいことはブロッコリーの輸入なのか?と思ったことも違和感を覚えたきっかけかも。インドネシアで海老とかね。世の中の役には立っているけど、世の中の仕事はだいたい何らかの形で役には立っている。その中で、お前はどれで役に立ちたいのか?っていうことなんだけど、そこでモヤモヤし始めていた。
広告代理店はどうか、という風にも考えたけど(体育会から代理店はベタだ)、なんかこう、その仕事のためにその働き方は合理的なの?という印象はずっとあった。靴でビールを飲むとか、ネクタイ切られるとか。今だったら先輩に連れられてラーメン屋いって券売機のメニュー全部押されるとか。
それに耐えることが年収1000万なの??という感じで。それでいて、なんかこうすごいことやってんだ感を押し出してくる社員。いやすごいのはあんたの胃袋とメンタルだねとは思いつつも、それで仕事力は上がっているのかしら?という疑問はぬぐえず。
じゃあコンサルとかはどうなのよと思ってベタにBCGとかベインのセミナーにもいったが、なんか役人みたいだなという印象だった。頭いい人たちの集団っていうか。開成→東大の延長戦っていうか。医者からBCG、大蔵省→MBA→ベインとか。当時英語ができなかったので始めからあんまり真面目にうけていなかったが、こういう中で争ってもなーという感じはした。問題を解いてる感がすごかった。
かといってメーカーは惹かれなかった。サントリーとかトヨタとか。なんでだろう。ビールも自動車もあまり興味がないから?そこで自分がどういう力がついて、どういうキャリアがつめるかっていう視点で見ればいい点たくさんあっただろうけど商品視点でしか見なかったな。それを他の業種にも当てはめればよかったのに。P&Gなんかも、洗剤屋はいいですって感じで全然興味なかった。P&Gなんかはそこで成長しますよみたいなことをさかんにいうけど、その先はなんなの?何があるの?という思いがあった。
いざ自分が就職活動を始めてみて、やはり悩んだ。当時はインターンのはしりが始まった時代で、
せいぜい1日ではあったものの大企業のも結構いった。しかし行けば行くほどなんかあまり楽しそうじゃないなと思っていた。自分で考えて何かするというのができるまでの時間が長すぎる、という感じ。これも今思えばそこにひっかかかっていたというのがわかるけど、当時はわからなかった。違和感があっただけで。で、IT系の若い会社のインターンなんかにいってみると、やっぱり面白い。自分がSFCだったからというのもあるが若い人たちが世の中に挑戦しているというエネルギーに満ち満ちていた。GREEがまだヒルズに移る前にインターンをやったが、CFOだった青柳さんに飲み会で「こういう若い会社に入って楽しいのは、ここにいる人みたいな優秀でエネルギー高い人たちと一緒に働いて、何かやれる!という気持ちになれること」みたいなことを言われ、ああそうだよな、と思った記憶がある。GREEは結局選考を受けなかったものの、気持ちの上では一番惹かれていたかもしれない。だからこそ、その後の商社やら広告代理店やらの選考で気持ちが入りきらなかったのかも。言い訳だが。世の中の常識をひっくり返したい。こんなに世の中には不便やおかしいことがあふれているのに、なんでなくならないのか?こうすればいいのでは、こうしたら楽しいと思うことがいっぱいあるのに、なんでやらないんだろう?というのがたくさんあった。大学の部活ではその思いでいろいろやって、結果につながった。社会人でも当然そういうことがしたい、と素直に思っていた。でもできなそうだった。高い給料は我慢代なのかとも思った。
そんな風にもやもやしていって、結局最後には今働いているIT企業と高収入のセンサー企業が残った。センサー企業は文句ない企業だったけど、自分は一生センサーを売り続けたいのか?と自問自答したとき、嫌になって辞めた。そういう働き方をしている人はこれまでもいっぱいいたし、この後もどんどん続いていくだろう。だったら、そういうのが好きな人に任せておけばいいんじゃないかと思った。先輩に働いている人が居ない、どうなるかわからない方に人生賭けてみようと思った。
まあ、今思えばそうはいってもだいぶお堅い企業ではあったが、7年前はそれでも得体のしれない感じはすごかった。
振りかえってみると、自分がSFCであるというのが結構軸になってたのかも。インターネットを中心とした授業にしてたし。でも富士通とかNTTじゃなかったのは、組織としても新しいところが世の中を変えるっていう刷り込みがあったからかもな。
当時はサイバーエージェントなんかが伸びてきたところだったけど、先輩方は皆電通が本気出したらイチコロみたいに言っていた。確かにそうかもしれないとは思った。でも実際はそうならなかった。電通は本気になれなかったし、それ以上にサイバーら新興企業がドーンと成長してしまった。電通は結局ネット広告では主導権を握れていないし、商社も自身でwebサービスは創出できていない。結果的に、自分の7年前の決断はまあ間違ってなかったわけか。
就職してからの話はまた今度整理して書こう。
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