■アピールし続けなければいけないということ
ボトムアップを標榜する組織であるし、自ら発信することを良しとする文化なので、常に自分はこうしたい、こうするべきではないかというのを小さいことでも出し続けていかないといけない。そういうことしか評価されない会社であるので、地道な改善をするにせよ、まったく新しいことをするにせよアピールは大事になる。書類の書式しかり作業フローしかり。ただちょっとずつ違和感を覚えてきたのは、なんというかそういう細かい改善をする余地がこれだけ残っているっていうのはどうなのよ?と思ってしまう。出来て間もない会社だからいろいろ整っていないともいえるが、しかしグループの歴史はかなり古いんだからさあ。。「業務フローの改善には興味ない」と上司に言われたが、だから属人的な要素が残っていたりするんだろうか。業務フローを改善するかどうかは個人次第。だからこそそこで評価をもらう余地もあるってことだけど、それっていいの?と思う。ここに違和感を覚えているのは自分がまだ新参者だからだろうけど、これに慣れてしまうのは危険な気がする。そして、こういうはっきりいってしょうもないことで「私はこれをやりきった!!」ていうのはなあ、疲れるよなあ、とまだ日も浅いのに思う。。愚痴です。アピールするっていう筋肉を鍛えるために入ったわけなので、頑張るしかないのだが。
■自分の心の中にいるドナルドトランプについて
トランプってのは物の例えだけど、自分じゃ心優しい、フェアな精神の持ち主と思っていても、感情の波にまけて言いたくもないことが口を突いてくる、という経験を何度かした。この前ララランドを見たとき、ツアーの忙しいさなかに男が家に帰ってきて女をお祝いしようとしたのに、ふとしたきっかけで暴言を吐いてしまいぶち壊しになってしまうとシーンがあって、胸が痛かった。去年か一昨年なら特に何も思わなかったんだろうけど、今、まさに自分にもこういうことがあると体感してから見ると身にしみる。自分にもこういう、意思とは関係なく感情に襲われるという経験があって、それに抵抗することができないというね。知らなかったわけだ。暴言をいったり嫌味をいったり、いつもはなんとか抑えているだけで、本質はもっと嫌なやつだというのをたまーに思い知らされる。実に苦々しい。この心のトランプをどう飼い慣らしていくのかがテーマになるのかもしれない。
■ECを取り巻く環境の激変とそれに伴う虚しさに突いて
前職はけっこうビジョナリーというか、インターネットショッピングにおいてはイノベーティブな会社であったが、今年来年あたり一気に苦しくなりそうと言われている。盤石な勝ちパターンがここ最近の技術の進歩によって切り崩されている。自分もこの業界に身を置いていながら、細かい技術の話とか流れみたいなものって、本当に見逃しているなと思う。普段はオペレーションに時間取られているからなのか(上の人はそういうのに時間取られないからよく知っているともいえるのでは、と最近思ってきた。ようするに暇)。ビーコンだのチャットボットだの、これ使えばあれができるな、みたいなタネが実はけっこうある。で、勝ちパターンが出来上がってるとそういうの使って変えるモチベーションもない。たった7年くらいなのにね。儚い。これまでは一生懸命ついていくだけだったけど、このままこの業界に身を置くんだろうか?とふと思ってしまった。
ボトムアップを標榜する組織であるし、自ら発信することを良しとする文化なので、常に自分はこうしたい、こうするべきではないかというのを小さいことでも出し続けていかないといけない。そういうことしか評価されない会社であるので、地道な改善をするにせよ、まったく新しいことをするにせよアピールは大事になる。書類の書式しかり作業フローしかり。ただちょっとずつ違和感を覚えてきたのは、なんというかそういう細かい改善をする余地がこれだけ残っているっていうのはどうなのよ?と思ってしまう。出来て間もない会社だからいろいろ整っていないともいえるが、しかしグループの歴史はかなり古いんだからさあ。。「業務フローの改善には興味ない」と上司に言われたが、だから属人的な要素が残っていたりするんだろうか。業務フローを改善するかどうかは個人次第。だからこそそこで評価をもらう余地もあるってことだけど、それっていいの?と思う。ここに違和感を覚えているのは自分がまだ新参者だからだろうけど、これに慣れてしまうのは危険な気がする。そして、こういうはっきりいってしょうもないことで「私はこれをやりきった!!」ていうのはなあ、疲れるよなあ、とまだ日も浅いのに思う。。愚痴です。アピールするっていう筋肉を鍛えるために入ったわけなので、頑張るしかないのだが。
■自分の心の中にいるドナルドトランプについて
トランプってのは物の例えだけど、自分じゃ心優しい、フェアな精神の持ち主と思っていても、感情の波にまけて言いたくもないことが口を突いてくる、という経験を何度かした。この前ララランドを見たとき、ツアーの忙しいさなかに男が家に帰ってきて女をお祝いしようとしたのに、ふとしたきっかけで暴言を吐いてしまいぶち壊しになってしまうとシーンがあって、胸が痛かった。去年か一昨年なら特に何も思わなかったんだろうけど、今、まさに自分にもこういうことがあると体感してから見ると身にしみる。自分にもこういう、意思とは関係なく感情に襲われるという経験があって、それに抵抗することができないというね。知らなかったわけだ。暴言をいったり嫌味をいったり、いつもはなんとか抑えているだけで、本質はもっと嫌なやつだというのをたまーに思い知らされる。実に苦々しい。この心のトランプをどう飼い慣らしていくのかがテーマになるのかもしれない。
■ECを取り巻く環境の激変とそれに伴う虚しさに突いて
前職はけっこうビジョナリーというか、インターネットショッピングにおいてはイノベーティブな会社であったが、今年来年あたり一気に苦しくなりそうと言われている。盤石な勝ちパターンがここ最近の技術の進歩によって切り崩されている。自分もこの業界に身を置いていながら、細かい技術の話とか流れみたいなものって、本当に見逃しているなと思う。普段はオペレーションに時間取られているからなのか(上の人はそういうのに時間取られないからよく知っているともいえるのでは、と最近思ってきた。ようするに暇)。ビーコンだのチャットボットだの、これ使えばあれができるな、みたいなタネが実はけっこうある。で、勝ちパターンが出来上がってるとそういうの使って変えるモチベーションもない。たった7年くらいなのにね。儚い。これまでは一生懸命ついていくだけだったけど、このままこの業界に身を置くんだろうか?とふと思ってしまった。
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